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大柄沢キリシタン洞窟探険

船形山麓、吉田川上流部に掛かる万能(マンノウ)滝の近くにあった洞窟は、隠れキリシタンの秘密のミサのためのものだったのではないか?
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昨年末に訪れた隠れキリシタンの里の資料館で見た大柄沢キリシタン洞窟の写真と、この嘉太神集落の上流にある洞窟が何かで繋がっているような気がした。

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その仮説と言うより妄想を検証するためには、実際のキリシタン洞窟を見てみなければならなかった。

豊臣秀吉の時代から始まった禁教令、キリシタン迫害についてほとんど知らなかった。広く知られている京都・江戸・長崎でのキリシタン迫害による殉教者よりも多い仙台藩内での狭い地域で300人以上の殉教があったことを知っている人は稀で僕らもその中の一人だった。そんな地域に隠れキリシタンの洞窟があると知れば、行ってみたい見てみたいという好奇心が探険隊の原動力の一つとなる。

前々回のブログで書いた通り、最初の探索で見つけることは出来なかった。

改めて情報を収集し、洞窟の写真と地形図を繰り返し見続けていると、次は行けるんじゃないか?と思うようになった。だったらすぐに行きましょう!ってことで、さっそく2回目の探索に行って来たという訳。

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今回の探索の起点となる「カトリック大籠教会」。この教会から西へ1.5Km、高城山の東斜面、アカマツ林の中に洞窟はあるようだ。15年くらい前までのネットの情報によれば道々に案内看板が設置されていたと書かれているけれど、、、

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現存しているのは、道路わきのこの矢印看板だけ。

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先々週、行かなかった道に見当をつけて歩き始める。

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こんなところを歩いてみた。

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こんなところも歩く。

この辺じゃないか?って思っていた所もずい分通り過ぎてしまったけれど、、、、見つからない。。。

高城山の山頂も近くなってきたところで行き詰ったって思った。僕とナベ氏は「この道じゃなかったのでは?」と、いったん戻ろうとしていたけれど・・・Y子さんは一人で僕らが考えていなかった方向に歩き始め視界から消えた。後を追った僕の耳に飛び込んできたY子さんの声、「あったー!洞窟あったーーー!」

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思ってもいなかった方向から聞こえる声。何故ここを下ったのだろうと思うような分かりづらい道と分岐。その先に発見当時設置された説明看板と洞窟があった。

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(献花と簡易祭壇は僕らが置いたもの)

Y子さんじゃなければ見つけることは出来なかった。七つ森の遂倉山の洞窟を見つけたのもY子さんだった。彼女は何か不思議な力を持っているような気がする。

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入口は半分以上が土砂で埋まり、中には水が溜まっている。

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入ってすぐには「見つけた!」っていう嬉しさと言うかヤッタ感、ついに中の空気に触れられるって満足感(好奇心)に包まれていたけれど、、、。

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荒く削られた岩盤、奥に設けられた祭壇を見て、キリシタン禁教令の厳しい時代に命を懸けて祈ったその当時の人々の姿を想像した。
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僕はこの言葉を発しなければいけないと強く感じた。
「天にまします我らの父よ願わくは御名を崇めさせ給え、御国を来たらせたまえ、みこころの天に・・・・我らの罪をも赦したまえ・・・悪より救い出したまえ・・・国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり・・・アーメン」
仙台神学校を前身とするプロテスタント系の学校に通った僕は主の祈りを暗記させられていたのだった。

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改めてY子さんのカトリック系の祈りで十字を切って、僕らの礼拝とした。

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宮城・岩手にかかるキリシタンの里の探索はこれで完結として、あとは船形山の麓の嘉太神の洞窟とどう結びつくのか?はたまた、ただの空想だったのか?今後の課題である。

===以下は一部創作です===
船形山の麓に嘉太神という集落がありました。ここは縄文時代の遺跡も発掘され古くから人が暮らしていた場所です。
藩政時代には周辺で採れる砂鉄を原料に製鉄が盛んに行われるようになり、たたらも数カ所に作られました。当時の製鉄に欠かせなかったのは西洋から入ってきた技術と人材で、伊達藩内の大籠という地域では相当な規模で製鉄が行われていました。その製鉄技術と共に伝わったのがキリスト教で、大籠地域には数万人のキリシタンがいたと伝えられています。のちの幕府によるキリシタン弾圧で大籠地区では300人を超えるキリシタンが殺されましたが、人々は仏像に隠し十字架を刻んだり、観音様をキリストを抱く聖母マリアに見立て子安観音(マリア観音)としたり、隠れキリシタンとなって秘かにキリスト教を信仰し続けたのです。そして秘密のミサを行うために高城山の山中に洞窟を掘り、隠れキリシタンの礼拝所としました。

その隠れキリシタンの洞窟が、実は嘉太神にも存在するのです。
嘉太神地区で製鉄が行われていたのは、吉田潤之介による聞き取り調査で明らかになっていて、今も金屑沢とか鉄山沢という製鉄に関わる地名が残っています。製鉄技術と共にキリスト教が伝わり嘉太神地区に多くのキリシタンがいたと言うのは想像に難しくないでしょう。集落を流れる川を遡ると上流には4つの滝があります。その2番目の滝の脇に洞窟があり、そこが嘉太神隠れキリシタンの礼拝所だったのです。明らかに人の手によって掘られた奥行き約20mで最奥が直角に曲がり2mほどで突き当たります。今は土砂で埋まっていますが、そこに祭壇を設け礼拝を行っていたと考えられます。一つ目の滝を越えたところに不動明王を祀ったと思われる場所がありますが、そのお不動様の存在は隠れ洞窟に行く表向きの理由として好都合でした。或いは目くらましの偽装のためにお不動様を祀る場所を作ったのかも知れません。

洞窟の脇の滝は20mを越える大瀑布で、旧約聖書の創世記に登場する創造主全知全能の神(ヤハウェイ)を連想させる滝であったため、人々はその滝を万能神の滝と呼び、万能(マンノウ)滝という名称で現在に受け継がれているのです。

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***おまけ***
今回のもう二つの目的。
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佐沼って地区にある「氏金寿し」っていうお寿司屋さんの極厚カツ丼・・・激ウマ!お勧めのラー油で味変すれば、これもまた良し!

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氏金寿しから車で15分くらい。分かりづらい田舎道の先にある古民家だけど、、、中に入れば、、、
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知る人ぞ知る、こだわりスピーカーの「音JAZZ鳴夜(おじゃずなよ)」ってジャズ喫茶。誰が来るのー?って場所。僕らが入店したのも気づかずにマスターが一番いい場所で大音量でジャズに聴き入っていた。「あーーーいらっしゃい。お客さん滅多に来ないから自分で聴いてた」だって。。。。


Commented by 檜川彰人 金築卓也 at 2022-05-03 17:10 x
佐道明広 本藤恒松
Commented by 洞窟 at 2022-05-03 17:10 x
洞窟
by mt1500funagata | 2022-03-19 23:24 | 船形界隈探険隊 | Trackback | Comments(2)