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船形山(御所山)最深の御秘所「紫滝」探訪<その2>

<第三章 下見と撤退>

明治27年、旧制二高生であった19歳の久保得二(のちの漢学者 久保天随)は、かすりの単衣にわらじ履き着ゴザを背負って、定義温泉から船形山を目指した。大倉川を遡行し、仙台カゴの岩山の西から丹生川へ下降し、最奥の紫滝を見に行った。残念ながら時間切れで山頂へ立つことは叶わなかったが、古の修験者によって開かれた御宝前周辺のおどろおどろしい聖地に、感動と畏敬の念を隠せなかった。明治27年10月26日のことである。

===下見 6月15日===
明治の冒険家は、とんでもないルートで紫滝を見に行ったようだけれど、僕らはこの探険のベースを大滝キャンプ場にした。
急斜面の藪こぎが主体となるであろう旧道紫滝コース。出来るだけ荷物を少なくし身軽にしたかった。

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下見の目的は、大滝キャンプ場から主稜線を跨ぎ、御宝前までの距離感をつかみたかったのと、相当荒れているであろう現在の御宝前コースの状況把握、そして最後の詰めを水線を忠実に辿り山頂に向かうか?第一章の古い解説や地図に記載されている「荷置き場」に出る旧ルート通りにルート設定をするか?の判断をするためだった。

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地形図だけを読めば、山頂直下に至る水線を辿るのが良さそうに思うけれど、山頂直下の灌木帯の藪こぎの困難さは相当なものになるはずだった。
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稜線を越え山形側の灌木帯の様子を見て、旧ルート通り本流のゴボーガン沢(山と高原地図にあるゴホーゼン沢は誤称)から「荷置き場」を目指すことにした。

残雪に埋まる朝日沢源頭を過ぎる時、荷置き場までのルートはこの朝日沢源頭の地形を南北対称にしたようなものではないか?と意見が一致した。探険隊の4人中3人は、朝日沢完全遡行の経験があり、
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朝日沢からこの場所に至ったことがある。

地形図と睨めっこしながら尾根の南側に注意して尾根を下る。地形的にこの辺りじゃないか?と見当をつけた付近の藪を掻き分けると、微妙に沢状の地形があった。おそらく、この沢状に窪んだ筋が旧ルートなのだろうと考え、赤布でも打っておこうかと周りを見回すと、そこには・・・
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なんと、尾花沢山の会が設置した「荷置き場」と書かれた古い標識があったのである。

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僕は何回かこのルートを歩いた経験があったけれど、気づかなかったと言うか気に留めることがなかったのだと思う。
思いがけずドンピシャで荷置き場の場所が判明することとなった。

雨で展望は利かず、旧ルートの全体像を尾根上から俯瞰することは出来なかった。しかも思いのほか時間を食ってしまい、御宝前まで行ってみるのは無理と判断し、荷置き場の位置を確認したことで当日の下見を終わりにして、
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珍しく東からの強風で荒れる山頂へ登り返してきた。


===撤退 7月6日===
7月5日夕方、探険隊の男3人が大滝キャンプ場に集結した。翌6日にいよいよ紫滝への探険を実行するためである。
それなりに酒を呑み語り合うという山小屋での一夜を過ごし、夜も明けきらぬ早朝から行動を開始した。
大滝キャンプ場から色麻コースで稜線を跨ぎ、御宝前まで下降したところがスタート地点となるのだ。
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この日、Y子さんは良ーく考えた末に参加を辞退するという勇気ある判断をした。

もはや廃道とも言える荒れた登山道の藪をこぎ、崩落し道は全く原形をとどめていない崖のような斜面を腕力に任せ御宝前に至った。結果的にY子さんの判断は正しかったと言える。

御宝前に降り立った時には、すでに昼近くになってしまっていた。
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それから、男滝と
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女滝のかかる岩壁をよじ登り、落ち口を確認したあとゴボーガン沢を遡って紫滝を探すのである。

僕は胸がドキドキしていた。不安もあった。この崖を登りきることが出来るのだろうか?今日中に下山することが出来るのだろうか?
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古い資料の通り、女滝の落ちる「五郎沢」を遡行し鎖場があると言う岩の急斜面を探したけれど見つけることは出来ず、登れそうな斜面を強引に尾根に乗り上げたのである。

この日の記録は、紫滝を目指したことには一切触れず、藪こぎをして滝の見物に行って来たということにして
ブログ記事にしている。


紫滝に到達できなかったのである。
白糸の滝を越えた後、尾根に上がって下山した。なんて何食わぬ顔で書いてあるけれど、実は紫滝コースの探険の途中撤退だったのである。
二人が怪我を負い、ヘリコプターによる救助要請も真剣に考えざるを得ない状況に陥ってしまっていたのだった。

自力で状況を打開した。

しかし、再度の探険を実行するには負傷ヵ所の回復を含めて2か月半の時間を要した。
そして9月28日を迎えたのであった。冒頭の久保得二が紫滝を見た日から、およそ125年後のことである。


===<第四章 名もなき修験者の魂と白糸の滝>へと続く===



by mt1500funagata | 2019-10-06 23:11 | 船形界隈探険隊 | Trackback | Comments(0)