人気ブログランキング |

時空を越えて観光登山 那須岳

11月3日は晴れの得意日。
栃木県まで観光登山に行って来た。
c0294658_21280464.jpg
登って来たのは那須連峰。以前、那須湯本から朝日岳~三本槍~大峠~三斗小屋温泉をぐるっと回ったことがあったので、今回は沼っ原から三斗小屋宿跡を通って三斗小屋温泉に泊まり、茶臼岳から南月山~白笹山を回るコースを取った。

c0294658_21280400.jpg
いつもの船形山あたりのブナの森を歩く山登ではなく、荒涼とした岩山を歩くことも目的のひとつではあったし、中心の隠居倉から眺めた、雲海の彼方に浮かぶ雪をまとった飯豊連峰や尾瀬の山並みに目を見張ったけれど、一番の目的は別な所にあった。

c0294658_21280487.jpg
茶臼岳へ向かう道では、すれ違う人に「こんちわーっす」ではなく「こんちゃうーっす」と声を掛け続けた。ほとんどの人は「こんにちは」と返してくれたけど、根気よく「こんちゃうーっす」と言い続けたら何十人目になるかわからないけど、山頂近くでノリの良い若いカップルと二人連れの山ガールが、やっと「茶臼だけにこんちゃうーっす!」とツッ込んでくれた。

いゃいゃ、ツッコミ入れてもらうのが一番の目的ではない。

以前訪れた時に三斗小屋の歴史を少し調べたので、今回は三斗小屋宿跡を探訪し現在の三斗小屋温泉に泊まることが一番の目的だった。登山口の沼ッ原からおよそ5Kmほどの山道の先に三斗小屋宿跡はある。
c0294658_21283108.jpg
========

三斗小屋宿跡は、三斗小屋温泉の西方約3km、板室本村から12kmほど北、那珂川上流の標高1100mの山あいにある。天和3年(1683)会津西街道が天災で遮断されたため、会津藩が元禄8年(1695)に会津と氏家を結ぶ会津中街道を新しく開削し、国境の大峠の北側に野際新田宿、南側に三斗小屋宿を設けた。

元禄9年(1696)の会津藩の記録では人家はなかったとあるが、その後、人が移り住み物資輸送や宿泊関係の仕事にあたった。三斗小屋の北には標高1,468mの大峠、南には麦飯坂があって、この一帯は街道一の難所であった。

江戸時代の末期には修験道の白湯山信仰が盛んになるとその登山口として栄え、安政3年(1856)の山開きには参詣者が1日に1,000人を超えた記録がある。そのため、今なお寄進された常夜灯や石仏・大鳥居(平成19年復元)などが残っている。

三斗小屋宿は、慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、会津軍(旧幕府軍)が駐屯し、新政府軍との激しい山岳戦が展開された場所でもある。この戦いは新政府軍が勝利し、この戦火により三斗小屋宿の14戸が焼失した。宿跡の南方約200mの墓地には、戊辰戦死若干墓が残る。

明治26年(1893)には三斗小屋に銅山が開かれ、宿の近くで精錬が行なわれたが、明治41年(1908)5月の大火で14戸すべてが焼失し、昭和32年(1957)に最後の1戸が転出して無人の地となった。
=====那須塩原市HPより転記====

日本を代表するリゾート地である那須の裏側には、300年以上も前に会津藩によって開削され栄え、150年前の戊辰戦争では多くの人が命を落とし、明治の大火によって消滅してしまったという廃村の歴史がある訳で、僕はその廃村を訪ねてみたかったのである。

c0294658_21283206.jpg
山奥で一時は1000人以上の人が集まり栄え、今は住む人のいない宿場跡地だけれど良く手入れされていて、何とも言いようのない美しい場所だった。崖っぷちに建つ「白湯山」の鳥居は何処へ導くものなのか?鳥居をくぐるとすぐ崖で眼下には谷川が流れていて、参道へと続く普通にイメージする鳥居の位置とは異なるものだった。

その疑問は、宿泊先である三斗小屋温泉 大黒屋で解けることとなる。
c0294658_21283195.jpg
前回はもう一軒の宿の煙草屋に泊まったので今回は大黒屋にしたのだけれど、それは正解だった。
c0294658_21283145.jpg
築150年になろうとする本館。部屋と外の仕切りは障子戸一枚で部屋には暖房もない。
歩いてしか行けない山奥の温泉旅館の雰囲気や温泉はとっても良いものだったけれど、僕にとって一番うれしかったのが、ロビー?の書棚にあった↓この本との出会い。
c0294658_21284205.jpg
鳥居の向きの疑問が解け、古の白湯山信仰、三斗小屋宿の歴史や奥那須の自然を守る会の功績なども知ることが出来た。会津大峠から三度渓谷を渡りたどり着くから「三渡古谷」が地名の由来らしい。

1000人もの参詣信者を集めた白湯山信仰とは、「白湯山」「月山(茶臼岳)」「毘沙門岳(朝日岳)」の三山を登拝し36か所の拝所を巡る三山がけだったのである。「白湯山」とは茶臼岳のことではなく、湯殿山に似た白濁する湯が沸き出る大岩をご神体とする場所で地形としては山ではない。鳥居の疑問は↓この地図で納得した。
c0294658_21284258.jpg
鳥居から崖を下り、苦土川を渡り御沢を遡るのがご神体「白湯山」へと続く参道だったのである。つまり鳥居は僕らの感覚でいう入渓点だったという訳。

c0294658_21284218.jpg
今の一般ルートともいえるロープウェイ側の那須湯本からは、こんな山駕籠に乗って三斗小屋温泉へ向かう人もいたというのだから驚く。つーか、駕籠を担ぐ人の馬力に驚く!(真ん中の担ぎ手は女性?)

数年前、何気に観光登山で訪れた那須連峰だったけれど、三斗小屋宿跡を訪ねたくて再び訪れた那須。更にもう一度訪ねてみる理由が出来た。古の人々が信仰した「白湯山」を見に行くこと。

c0294658_21312338.jpg
今回、沼っ原から三斗小屋温泉までの道のりでは、二人の人としか出会わなかった(なんと4年前に煙草屋で同宿し食事の時に隣に座ったお二人だった!)けれど、300年も前に会津中街道として栄え、多くの白湯山信仰信者が往き来した道。

紅葉が一葉乗っている石碑の上にも、白湯山へ向かう行者が手を置いて祈ったかも知れない、山駕籠の担ぎ手が汗をぬぐった手ぬぐいをひょいと置いたかも知れない。そんなことを想像してみると美しい山並み・歩く楽しみ・景観の見事さという現在目にするものに時間という奥行きが限りなく広がると思う。

ちょっとした想像力を働かせれば、時空を越えた登山を楽しむことが出来る。


トラックバックURL : https://bunatayori.exblog.jp/tb/29834144
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by くまぷー at 2018-11-07 09:38 x
こんちゃうす!

で、コメントは始まらなければならないような気がしました。

「こんちゃうす」しながら山頂まで行くって、被り物より難易度が高いような気がします(笑)

そういえば、かつて、そこそこの山に登るといえば、昔は専ら修験だったのかもしれませんが、そのときにスライドするときは何と声を掛け合っていたのでしょうね。

やっぱり、「こんにちはー」なのですかね。修験であれば、そんな気さくな雰囲気もないのかな?静かに黙礼とか。はたまた。

茶臼岳では、やはり、「こんちゃうーっす」、なんて言う人もいたかもしれません!?
Commented by tabilogue2 at 2018-11-07 18:41
高桑信一の「古道巡礼」の”会津中街道”編で「こんちゃうす」とは・・・? ゴゲンめいたものが書いてあるよ・・・って、”信ずるものは救われる”なんだけどねwww
Commented by mt1500funagata at 2018-11-07 20:10
> くまぷーさん
「こんちゃうーっす!」の難易度、それほど高くないですよ。何故なら皆さん「こんちわーっす」だと思って普通に挨拶を返してくれるから。おどけた仕草やアクセントではなく普通に「こんちゃうーっす」っていうと違和感ないです。これから茶臼岳でのスタンダードになる予感がします。(んな訳ないか?)

修験の行者は黙礼でしょうけど、一般の登拝者同士も挨拶を交わしていたのでしょうかね?
Commented by mt1500funagata at 2018-11-07 20:14
> tabilogue2さん
ん・・・?
「古道巡礼」読んでいないのでわかりませんが、「こんちゃうす」には、何か別な深い意味があるのですか?僕のは単なるボケでしたが・・。。
by mt1500funagata | 2018-11-05 23:59 | ほかの山 | Trackback | Comments(4)