2017年 09月 18日
夕闇の母子グマ 電気柵の外側で
「猟」「漁」には歴史的な流れがあって現代に至っているわけで ことさら捕殺の部分だけを取り上げて殺生に反対するのは誘導ミスを招きかねません。太地町の囲み捕鯨漁や大間町の鮪一本釣りなどこれで生計を立てている伝統漁法なわけですから「殺生するな!」と咎める権利はありません。
マタギや山仕事する人たちがブナの幹に切りつける”キリツケ”を捉えて、寺社仏閣に悪戯書きするのと同じとすり替える意見と同じです。
ただ、マタギのなり手がいない昨今 どんどん成獣は増えるばかりであることも事実。「狩猟女子」という言葉通り 女性のライフル免許取得者が増えているようですが 生態系のバランスをとるには「狩猟免許制度」そのものから見直さないと追い付かないと思います。
口調が強い、、、そうお感じになられますか、、、
本文に書いた通りで、具体的に自分の出来る範囲で実際に行動しましょうよ!ってことです。自然を次代に残したい、野生動物と共存を図るべきだ等々想いを綴っただけでは何の解決にもならないのですね。言いっ放しの傍観は罪だと僕は思っているのです。
僕は野生動物の殺生を闇雲に否定する盲目的な動物保護主義者ではないです。喰うためや有害駆除、個体数調整のための捕殺はある程度必要と考える立ち位置にいます。でも、顔を知っているクマが捕殺されるのは心情的にイヤだなあ~って複雑な思いもあります。
電気柵の目的は、ショックを学習させて近づかないようにする事なのですね。ショックを与えずに言って聞かせて分かってもらえるなら苦労はないのですが、、、。僕自身の願いは片腕やオデキ、この母子が人との軋轢を起こさないで生き続けて欲しいってことです。クマたちがこの施設に近づかなくなると出会う機会は減るでしょうが、いつの日か森で偶然出会った時のことを想像しながら刈り払いをしていました。
施設の社長さんからは労いとお礼の言葉を頂きましたが、僕らはクマの為にやってる訳です。共存の境界線上にいる人とクマ、双方と接してみるとブログなんかでは書ききれない様々な想いが胸の中に溢れてきます。