ナメコの赤ちゃんとサバ読み婆様

ナメコですが・・・まだ採らない
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なぜならば、ここは僕の家から車で5分、車止めから歩いて1分で行ける場所。
と言うことは、なにも焦って採ることはない。今日はナメコの成長具合を様子見に来たのだ。
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今年はキノコが不作という話をよく聞いたけど、それはナラタケとかに限った話ではないのかな?って思ってる。でも実は少し心配していたのだけれど赤ちゃんナメコを確認して安心した。
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ムキタケ・・・少し採ったけれどまだまだ赤ちゃんがいっぱい。
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これから11月いっぱい4~5日おきに採りに行く。上旬はムキタケ、下旬はナメコ。
6時に家を出ればキノコを採って6時半には帰って来られる。カイシャインである僕も出勤時間にじゅうぶん間に合うのだ。

帰り道、気になっていた場所へ寄ってみた。
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カタクリの群生で最近訪れる人が増えた達居森の大和町側の麓、明ケ沢って地区にある山王神社。30年も前から、ここの前はしょっちゅう通っていたけれど、鳥居をくぐるのは初めて。
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小高い山頂には、ほとんどヤブに覆われた中に朽ちたお堂があった。訪れる人はほとんどいないようだ。
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鳥居の脇には沢山の石碑がある。これは、この辺の田んぼを区画改良する際に、あちこちにあった石碑を一箇所にまとめたもの。
多くは「馬頭観音」だが、「湯殿山」や「三峰山」と彫られたものもある。
その中に、梵字で書かれた「庚申塔?」
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日輪月輪を両脇に描き、寛政12年(西暦1800年)とある。当時、土地の人のなかに、このような梵字を書ける人がいたのだろうか?想像は膨らむ。
疫病が流行り高名なお坊さんか修験僧にお払いをお願いしたのだろうか?それとも、この辺には「庚申講」があって60年に一度の庚申の干支(寛政12年)にお祭りでもしたのだろうか?

わざわざ遠くに出かけなくとも、有名な観光地に行かなくても文化の日を楽しむことが出来るって訳ですね。史跡を解説した案内板を読むより、自分で調べ想像するほうが楽しい。

石碑の写真を撮り終わり、車に戻るときに一人の婆様と会って言葉を交わした。
婆様が言うには、山王神社には昔は立派な社殿があったそうだ。火事があって番をしていた若い人が焼死して以来ここの神社は廃れ始めたらしい。
「その火事っていつ頃のことなんですか?」と僕が聞いた。
婆様は、こう答えた。
「んだねえ~、オラがちゃっこい時だがら、20年も前になっぺがねえ~」
えっ!???
ちゃっこい頃って子どもだった頃ってことでしょ?20年前子どもだったってことは、この婆様20代後半?30歳そこそこってこと???
「20年くらい前ですかあ~」改めて聞いた。僕が思っていることを察したのか、
「んでね~な~、20年できかねがな?」と婆様。 
そうでしょ!
「んだな~30年前くれがな?」 
えっ!???

年のサバを読み過ぎな婆様だった。


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Commented by maro7 at 2016-11-04 21:19 x
「まいたりまいたり~そわ~かお~こおすんめいえ~。」を101回拝む。
部落の庚申講の方々が持ち宿に集まり、祝詞をあげてから宴に入る。我の地でも、S40年代半ばまでありましたよ。
この夜、腹に住む虫が自分御悪行を天帝に知らせに行かないように一晩中見張り…いや、夜明かしで飲むのです。こうして地域の絆は深まり何が起こっても団結して対応できる体制が構築されましたね。
Commented by mt1500funagata at 2016-11-08 21:38
> maro7さん
庚申真言ですね。
庚申講のような地域の連帯がコミュニケーションを図る手段として活用されていたのですね。経済の高度成長と同時に、このような地域のつながりは急速に衰退していったといえるのでしょうか。
一晩中飲み明かす中で地域の言い伝えや民衆の歴史が口頭伝承されて行ったのでしょうね。
by mt1500funagata | 2016-11-03 23:21 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)