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船形連峰御所山 荒血沢(新乳沢)

「丹生川の水上に荒血沢とて朱(アケ)なる水のなかれしは弁財天の御所大明神を産み給う荒血のいわれ・・・」(安政5年 船形山手引草より)
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大沢小屋から15分ほどのところで右岸から流れ出ているのが、順徳上皇がお住まいになったと伝えられる新乳沢の入り口である。
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七色の虹がたなびくこの沢の奥に佐渡を逃れた上皇の行在所がおかれたと言われ、昔から神聖の地として入山が禁じられ、禁を犯した者は生きて帰れないことから一名「帰らずの滝」とも呼ばれている。
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沢を少し入ると七段の滝がかかり、
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一番高い滝を上皇の守り刀白鷺丸にちなみ「白鷺の滝」と名づけられている。(昭和47年 舩形連峰御所山案内)

・・・という訳で、行ってきました探険隊。
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もっとも禁を犯して生きて帰れなかったら元も子も無いので、下から拝み見るだけでしたけどね。
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この白鷺の滝を間近に見たのは40数年前の仙台YMCA山岳会以来のことではないだろうか?
(参考:深野稔生著 産土の山を行く)

本当のところは,、この滝を越えて天皇が隠れ住んだと言い伝えられている洞穴が存在するのか?を確かめたかったのだけれど、深野さん率いるYMCA山岳会と僕らでは実力は雲泥の差。本当に生きて帰れなくなるかもしれない。一目見て「やめよう」で決まり!でも、実際に滝の前まで行って見上げたことに深い意義を感じた。


7月2日~3日にかけて探険隊の親睦会と新隊員の歓迎(試験)を兼ねてのことだった。
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2日の早朝、御所山観音寺コース登山口に5時の集合だったので、早起きの苦手な僕は1日の夕方から柳沢小屋に前泊した。たまたま仕事が休みだった僕とナベ隊員は夕方から小屋入りしビールなどを飲みながら時間をつぶす。10時ころだっただろうか?新しく仲間入りを志願してきたタカヒロ君がやって来た。実は彼とは初対面。もっとも話が合うだろうとは思っていたけど、酒が苦手な彼は仕事が終わってから薄暗い山小屋で水を飲みながらヨッパライ二人に深夜1時過ぎまで付き合わされたことになる。散々な初顔合わせだったことだろう。

翌朝、誰一人時間に遅れることなく、6人の探険隊メンバーが登山口に集結した。



途中の写真はほとんどなく、いきなり親睦会の会場となる大沢小屋。
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小屋は名物の五右衛門風呂に入るためであって、親睦会は別にテン場を設営した。
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ブルーシートと農ポリに蚊帳。設営担当のタザワ君はお手のもの。

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小屋脇の沢には大量のビール。ヨネ隊員(通称バッケさん)が前週に下見を兼ねて荷揚げしてくれた1ケース。
縁の下の力持ちって言葉があるけど、バッケ隊員の力持ちぶりはスゴイ!1ケースって聞いて余ったらどーしよう?なんて思ってたけど、いらぬ心配だった。

準備を済ませ、探険の前に御宝前を詣りましょうってことで層雲峡を遡行。
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泳ぐタザワ、へつるシロー、見守るナベ。

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へそまで水に浸かって釜をへつる僕。

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へつりに成功したタザワ。後続はドボン。僕は上を巻いた。

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血の泉、雨ごいの時にかき回して願掛けした。正式?には「雨乞い清水」と言うらしい。

僕がこの層雲峡を経由して御宝前へ行くのは3回目だけど、来るたびに道(沢)が険しくなってきてるように思う。僕が年齢を重ねたってことかも知れないけど、かつて登山道としての層雲峡コースが今は全く整備されていないってこともあると思う。御宝前から山頂に至る三宝荒神コースも今は廃道だし、このコースもすでに廃道と言っていいだろう。

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御宝前大滝(雌滝)。水が涸れていて滝になっていないのは、落ち口の雌滝側に倒木が堆積し流れを遮っているから。(タザワ・シロー両隊員の前年調査による)崖の上の本流の水は全て雄滝のほうに流れ落ちている。御宝前大滝は珍しい二本の滝で、落ち口が釜のようになっていて釜の下流部の岩が流れを左右に振り分け、尾根を挟んで二本の滝になっているって訳。

<参考記事>

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御宝前大滝(雄滝)
新隊員のタカヒロ君は滝ヤ。35才の彼は各地の滝を巡り滝に神の存在を感じると言う。雄滝と対峙すれば合掌するのは自然なこと。

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修験道をはじめ日本の山岳信仰に於いては山頂よりも滝や岩のほうが重要視されていたフシがある。安政5年に綴られた「船形山手引草」によれば山頂は「止舩原」と言って、阿弥陀如来一行が乗って来た船を止めた場所にしか過ぎない。ここ御宝前が御所山信仰の最も重要な場所だったと僕は考えている。

ここへ至る登山道も荒れ放題で廃道となった今、御宝前は誰でも来られる場所ではなくなった。僕はそれでいいと思っている。容易に近づけない神聖な場所であったほうが良い。

御宝前を満喫した僕らは、冒頭の荒血沢の探険に向かったのでした。



さて、探険を終えて小屋(テン場)に戻れば、
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焚火と食事の用意。タザワ君から焚火のコツを伝授されるタカヒロ君。僕は何もしないでビールを飲みながら食べ物が出来上がるのを待つ。やっとこの時が来た。オヤブン達との山泊の時はずっと僕が食当だった。20年近くオヤブン達のメシを作り続けた僕だけれど、世代交代で若い仲間がメシを作り僕はビールを飲む立場になった。

ほかにも薪を集める係、風呂を沸かす係、それぞれが役割を持ち親睦会の舞台が整っていく。
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参加メンバーは僕のブログを通して知り合いになり、仲良しになってパーティーを組んだりしている。そんな連中に囲まれた僕はとっても嬉しい。単にレジャーとして山登りをする仲間ではなく、山を通して古の民俗信仰や自然保護をも考える仲間たちなのだ。僕が小関オヤブンはじめ多くの先輩方から受け継いだ魂を彼らに引き継ぐのが僕の役目。

そんなことを想いながら皆を眺めていれば「風呂わきましたよー!」って声。
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大沢小屋名物の五右衛門風呂。あー気持ちE~!

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風呂から上がれば、雪渓の脇で採ってきたウドの天ぷらがシュワシュワってイイ音を立てていた。

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夏の沢で風呂上りにウドの天ぷらで一杯。気持ち良さと美味さって想像できますか!?

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何を話していたのか?焚火を囲んでの話しは尽きない。


翌朝
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皆それぞれ好きな場所で寝てた。せかっくだからと小屋の二階で寝た者もいる、焚火の脇で寝てた者もいた。

朝風呂!
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2回目のゾウさん。お見苦しくてスミマセン、、、。

風呂上がりに残ってたウィスキーをヤリ始め、僕は朝からいい気分になった。みんな二日酔い気味ででポンコツ。二日目の行動予定は全て吹っ飛んだ。まあ、最初から薄々そーなるんじゃないか?って思ってたけどね。

下山と言う名の急登の登り返し。出発の時に声をかけられた「チバさん重いの俺持ちますよ!」シロー君に金物類を持ってもらった。シロー君は明治大学山岳部OBで疲れを知らないオカシナイイ奴なのである。新隊員のタカヒロ君「鍛えるためになるべく負荷をかけて登りたいんです!」誰も遠慮しない、、、。「んじゃーコレ持って、アレ持って」ギュウギュウ詰めのザックを担がされた。

とっても気の良い後輩連中に囲まれて、汗だくになって登り返した藪にまみれた急斜面は僕にとってかけがえのないもの。タカヒロ君の入隊試験?も全員一致で「合格!」。また新しい仲間だ増えた。懇親会は大成功だった。

企画してくれたタザワ君、そして参加してくれたみんなありがとう!


===大沢小屋考===
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東日本大震災以降、傾きがひどくなってきた大沢小屋。昭和29年に営林署の造林小屋として建築されたもの。

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僕がこの小屋に入れるのは今回が最後になるかも知れない。って言うより次の冬を越せるかの心配のほうが先かも知れない。
初めて来たのは升沢小屋泊で飲みながらのオヤブンの言葉だった。「山形側から御所山に登るんだったら、大沢小屋に泊まって五右衛門風呂に入るのが筋だ」その一か月後、僕は五右衛門風呂に入った。

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築60年以上のこんな瀟洒な山小屋ってほかにあるだろうか?

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神棚に上棟の時に棟梁が奉納したお札を見つけた。一つは昭和弐拾九年九月、もう一つが昭和参年八月?えっ!?昭和3年に上棟のお札を納めた?ってことは、今の小屋は2代目?

ヒントを見つけました。昭和47年発行、船形連峰御所山案内27ページ。ちょっと長いですけど原文ママで書き写します。昭和3年に建てられたのだろうと考えられる記述と「再建」というキーワードが出てきます。本記事冒頭の荒血沢の事や層雲峡にも触れています。
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御所山は出羽三山に対し東のお山といわれ古くから山岳信仰の聖地として盛衰を繰り返してきたようである。さらに中世になって修験道が組織化されるに及び、尾花沢地方の修験道のほとんどが真言宗に組み入れられ、鶴子の正学院などが先達になり附近一帯の若ものたちの修行と合わせたお山詣りの登山が盛んに行われた。いつの時代からか順徳上皇潜匿伝説が結びつきいっそう神聖視され、山の名も上皇のお住まいになったことから御所山とよばれるようになったもようである。・・・中略・・・このころ(大正の末から昭和のはじめ)山形高等学校(現山形大学文理学部)の山岳部長安斉徹教授うをリーダーとする一行が科学的調査を行い御所山の特性を登山界に紹介したことによりこの山が県内外に広く知られるようになった。材木岩、竜カ滝、お釜石などの渓谷美にすぐれた丹生川上流の景観が安斉教授によって「層雲峡」と命名され御所山探勝の登山者を誘致し山の知名度が高められた。また、旧常盤村の村当局をはじめ神職関係者、青年団そのほか有志が中心となり昭和二年(注:3年の間違い)の御大典記念事業として御所山の登山コースの改修、道路標識の設置など山の整備とあわせ登山案内書を出版して御所山の紹介に努めた。・・・中略・・・太平洋戦争をむかえ登山はいったん衰微したが戦後、秋田営林局村山営林署の行う林産資源の開発事業に付随する形で登山が再会された。渓谷コースの大沢登山小屋は、昭和二十六年(注:29年の間違い?)に営林署の造林小屋として再建されたものであるが一般登山者の中間基地的な宿泊施設として開放されたことにより御所山登山を容易にした。・・・後略・・・
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神棚のお札とこの一文から、昭和3年に昭和天皇の即位、御大典記念事業の一環として大沢小屋が建設され、その後昭和29年に今の小屋が「再建」されたと考察するわけですが、どうでしょうね?どなたか戦前に小屋に泊まったことがあるとか、こんな記録があるとか真実を知る方がおられるでしょうか?お爺さん、ひい爺さんで知ってそうな方いないですかねえ?



# by mt1500funagata | 2022-07-04 00:03 | 船形界隈探険隊 | Trackback | Comments(1)