高倉山の胎内くぐり

高倉山
大和町七つ森の奥、船形連峰の前衛峰で標高は854m。
c0294658_19261941.jpg
南川ダム湖畔から見たところ。左から泉ケ岳~北泉ケ岳~高倉山~赤崩山。

今日は高倉山へただ登りに行くのではない。
高倉山と民族信仰との接点を探しに行くのだ。
富谷や大和町吉田から見える端正な山容に、昔の人々が信仰の心を持って対峙していなかった訳がない。もちろん「倉」の付く山名、山頂に祠がある訳だから信仰の対象となっていたのは明らか。

明治5年に明治政府が修験道廃止令を出した当時、日本全国に約17万人もの修験者がいた。当時の人口は3300万人程度、要するに明治以前は修験行者が至る所に存在していたと言う事。(正木晃著:現代の修験道より)

その中には高倉山を修行の場とした修験者もいたんじゃないか?
高倉山の山中に、僕は以前から気になっていた場所があった。

c0294658_19484652.jpg
歩き出しは赤崩山の奥、林道高倉線の支線。
以前は四輪駆動の車なら進入できた林道も、今は荒廃が進み洗掘によって通行は不能。
無理して入り込めば、、、
c0294658_19514113.jpg
こんなことになる。

林道を歩いて行き、尾根に取り付く。
c0294658_19555236.jpg
小春日和のような気持ちのいい尾根をしばらく歩くと
c0294658_19575080.jpg
岩場が現れる。
僕は、この岩場は修行の場ではなかったのか?って思っていた。
僕が修験の場として高倉山に入るのだったら、ここで修行をするなあ。
c0294658_20015151.jpg
この岩屋は自然に出来たものなのだろうか?

泉ケ岳の薬師水コース(表コース)の胎内くぐりは有名だけれど、僕はここの岩場でも胎内くぐりがあるんじゃないかと目を付けていたのだ。
c0294658_20032292.jpg
岩のすき間から入ってみる
c0294658_20352844.jpg
洞窟の中は意外と広かった
c0294658_20384608.jpg
洞窟の中から入り口の様子
c0294658_21045792.jpg

c0294658_20404698.jpg
岩に囲まれた洞窟の内部は、胎内を連想させるに充分だった。

<<胎内くぐり>>
山岳や霊地の行場で、狭い洞窟や割れ目を通り抜ける場所に付けられた名称。修験者や行者などは山岳や霊地を他界または胎内とみて、その中を巡歴して修行しいったん死んで生まれ変わる擬死再生の行を行ったが、胎内くぐりによってその観念を抽象的に実践して確認した。これによって一切の罪穢を捨て、肉体と魂を浄化し、新たに生まれ変わるという考え方を行動をで示したのである。この考えの背景には、洞窟が一方では他界への入口とみなされ、他方では霊魂のこもる活力を復活する場として、神聖化されたことが関連している(世界大百科事典より)

c0294658_20585832.jpg
出口。僕は肉体と魂を浄化し生まれ変わった。

こんな場所を至る所にいた修験者が一人も目を付けなかった筈がない。
何か人が関わった痕跡がないか探してみたけれど、今日のところは何も見つからなかった。だから、これは僕の想像でしかないのだけれど、きっとこの場で歴史にも残らない名もなき修験者が修行していたのだと思う。

こう言っては何ですが・・・泉ケ岳の胎内くぐりより胎内くぐりらしさを感じます。
c0294658_21141995.jpg

岩場をあとにしたら、標高775mの東コブまで尾根づたいに急勾配をひたすら登る。

c0294658_21253801.jpg
東コブからの高倉山と船形本山。
栗駒や焼石連峰、神室連峰から鳥海山まで見える展望が開ける。
c0294658_22060690.jpg
お天気が良かったので泉ケ岳はじめ山に登っていた人も多かったんじゃないかと思いますけど、11時前くらいに聞こえた「ヤッホー」って、
c0294658_21280840.jpg
高倉山東コブから僕の「ヤッホー」でした。

c0294658_21314980.jpg
高倉山との鞍部。
春には沢山の花が咲き、踏み跡も無いものだから、足の置き場に苦労するほどになる。
c0294658_21374249.jpg
東斜面は急勾配。かなり急です。
c0294658_21392268.jpg
山頂には、大正5年に当時52歳だった鈴木利助さんという人が奉納した祠がある。

山頂から少し西のほうに歩くと視界が開け、
c0294658_21415047.jpg
泉ケ岳から北泉ケ岳
c0294658_21430286.jpg
三峰山から船形山
船形連峰の主稜線が一望に出来る。

こんなに面白くて良い山なのに、登る人少ないのってもったいないなあ~。

=====
どこから尾根に取り付いたのか?とか胎内くぐりって何処にあるのか?ってのは、敢えて詳しく書きませんでした。登山道のない、こんな山って「自分で」地形図みて「自分で」現地判断して「自分で」ルートを探し、行った先に胎内くぐりの岩場を見つける。こんな登り方が楽しいのではないでしょうか?GPSの軌跡や詳細な案内に頼って登るより、ずっと楽しいと思いますよ。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-26 22:19 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)

小荒沢林道を使って、大滝キャンプ場からの色麻コースを登れる今年最後のチャンスか?
林道の積雪は5cm程度だったけれど、キャンプ場入り口の舗装道路は念のためにリスク回避して大滝展望台の東屋跡に車を停めた。

普段歩かない道沿いにも面白いものがある。
c0294658_21275206.jpg
ジブリのアニメに登場しそうな胸高周囲10mはありそうなミズナラの巨木。
自然界のあらゆるものを飲み込み、森羅万象の魂をこの木は持っていると僕は感じている。
c0294658_21362628.jpg
寒々とした駐車場周辺。

舗装道路を歩いている時は向かい風が強かったけれど、ブナに囲まれた森の登山道に入ると風も少し和らいだ。
c0294658_21420425.jpg
この写真の右手の沢状の窪地が旧登山道。湯谷地を突っ切って旧道を歩いたほうが今日は良かったかもしれない。この旧道は今の眺望所のあたりで今の尾根道と合流する。
c0294658_21461173.jpg
夫婦岩の下にも旧道を示す古い矢印表示がある。以前は夫婦岩の間の尾根を歩いたのだろう。
ヤブも収まったので、、、
c0294658_21485078.jpg
登ってみた。
c0294658_21504356.jpg
小野田コース分岐の少し上にあるゴミ持ち帰りの看板標識。
伊藤製鐵所石巻工場の職域山岳会(オニコン山岳会)が、およそ40年前に立てた看板。オニコンってのは看板を支えている鉄筋で、伊藤製鐵所の代表的な商品の名前。同様の看板を3ヶ所に立てたらしい。ここのほかに山頂にひとつあるのは知っているけど、あとひとつがどこにあるのか僕は知らない。
c0294658_22002435.jpg
標高が高くなるにつれ冬のブナも良いカンジになってきた。

すると、一人が下山してきた。
ずっと山小屋の管理を一緒にして来たKさんだった。もうじき船形山登頂1000回を数えるKさんこそ、船形山の主あるいは船形山の岳人と呼べる人なんじゃないかなって僕は思っている。周辺の季節の変化や地形、鳥や動植物、歴史や民族信仰に至るまで精通しているのだけれど、本人曰く「ただ歩き周ってるだけだから、私は船形のアルピニストならぬアルキ(歩き)ニスト」
ゴミが落ちていれば黙々と拾い、藪っぽくなっている場所があればザックから草刈鎌を出して黙々と刈り払いする。ブログで得意になって書いている僕なんかとは謙虚さがまるで違う。知識や登山技術なども僕なんて足下にも及ばない。

c0294658_22413037.jpg
展望台を過ぎれば白いトンネル。足下の石は凍って滑りやすい。
こんな日は升沢コースで山頂を目指すのは困難、沢の石が氷で覆われ歩けたもんじゃない。
c0294658_22453408.jpg
稜線に出れば風が唸っている。冬の船形山を身体で感じる瞬間。
c0294658_22475247.jpg
山頂の低潅木帯を抜けたと同時に、風で身体が浮いたような感覚。
腰を落とし耐風姿勢を取らざるを得なかった。
なので、山頂付近の写真はこれで終わり。写真なんて撮っていられなかった。
c0294658_22534166.jpg
船形山も冬のシーズン到来です。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-23 22:13 | 船形山界隈 | Trackback | Comments(4)

鈴沼に冬の訪れ

寒い朝、鈴沼の畔に佇んでみる
c0294658_20454713.jpg
昨日までの好天で沼の氷は解けていたけれど
c0294658_20460229.jpg
今朝は雪
いよいよ本格的に冬が始まったようだ

沼が全面氷結し雪に閉ざされる
これから半年以上、容易に鈴沼を見に行くことはできなくなる
c0294658_20461582.jpg
山から下りてきて沼を渡り、森へ抜けてゆく風も冬の声だった


-


[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-23 20:57 | 鈴沼 | Trackback | Comments(0)

今日もまた鈴沼
c0294658_23422328.jpg
20年も前に見た、初冬の鈴沼の姿が忘れられない。
その時の鈴沼以上の鈴沼を見ていない。
もう一度見てみたいと思って、今週も鈴沼へと向った。
でも、ここ数日の天候と気温からして僕の望む鈴沼の景色でないことは分っていた。
c0294658_23425551.jpg
ところが、鈴沼は今まで見たことのない、美しい氷の水面を見せてくれた。
まるで鏡の上に小島を配置したみたい。
反射しているのは水面ではなく氷。
水鏡という言葉があるけれど、今日の鈴沼は氷鏡だった。
c0294658_23582998.jpg
対岸の林も前船形山も鏡の水面に映り込む。
c0294658_00011453.jpg
水鏡じゃないから風が吹いても揺れることはない。
近くに鏡ケ池ってあるけれど、今日はこっちが鏡ケ沼だ。
もっとも、周りの森を鏡のように水面に映すから鏡ケ池っていう名前の由来の説に僕は疑問を持っている。
c0294658_00031258.jpg
なんという言葉で表現したら良いのだろう。
これほど艶やかに氷結した沼というか水を見たことがない。

鈴沼は訪れる度に、僕に新しい感動を与えてくれる場所だ。

鈴沼を後にした僕は、小荒沢林道の大和・色麻の境付近にある「十の字石」へ。
三角点と言えば、普通は○○山とか○○岳とかと名称が付くけれど・・・
c0294658_00220816.jpg
ここは「十の字石」・・・って山なの?

十の字石に行くには、今がベストシーズン。
春から秋にかけてはヤブが酷く、積雪期~残雪期に行くのはちょっとヤバイ。
c0294658_00484969.jpg
こんな、クマの越冬穴としては最適な洞の前を通らないといけない。
越冬穴としては一級の場所と形で、冬はクマが寝ているって思ったほうがいい。
c0294658_00525416.jpg
○とか
c0294658_00530979.jpg
×とか、怪しげなマークを横目にヤブを登って行くと
c0294658_00551294.jpg
十の字石?
c0294658_00555490.jpg
十の字石?
c0294658_00590185.jpg
三角点
c0294658_01002953.jpg
十の字石と謎の十の字石
(水準点の保護石だと思います)
c0294658_01032496.jpg
雨が降り始めた「十の字石」から、花染山と三峰山が見えていた。



-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-19 23:39 | 鈴沼 | Trackback | Comments(0)

鈴沼は冬の装いはじめ

初冬の鈴沼へ
c0294658_21351475.jpg
艶やかだった秋の彩りから無色への移ろいの時を迎えた
c0294658_21385373.jpg
湧水の沢が流れ込む場所から遠いところから氷結が始まる

氷っていない水の中に、白いぬいぐるみみたいなものがゆらゆらと揺れていた。
首のないウサギの身体だった。

先日の寒波で氷った沼の上をウサギが歩き、ジャンプしようと後ろ足にかかった体重に初冬の薄い氷は耐えられず、ウサギの身体は水に落ちた。氷の穴から逃れようとするウサギをテンは見逃さなかった。
身体に似合わず大きな足の平を持つテンは自分が氷を踏み抜くことなく、容易にウサギの頭に噛り付くことが出来たのだろう。でも薄い氷の上で体重をかけてウサギの身体を引き上げることは出来ずに水中の身体の部分は諦めざるを得なかった。

こんなストーリーを想像する初冬の鈴沼。
c0294658_21533923.jpg
寒々としているけれど美しさを感じるこんな景色のなかにも、もうひとつの世界、弱肉強食の野生が息づいているのだなあって実感する。
c0294658_22055781.jpg
鳥の声も聞こえなかった。
聞こえて来たのは寒々とした冬の風の音だけだった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-12 22:12 | 鈴沼 | Trackback | Comments(0)

船形山も冬仕度

船形連峰升沢避難小屋の冬支度に行ってきた。
c0294658_19453658.jpg
旗坂キャンプ場へ向う、升沢橋を過ぎたところの坂道も冬の準備は終わっていた。
この坂道は古くからの升沢集落の人々の知恵で、沢水の側溝を堰き止めて道路上に沢水を流すことによって積雪と凍結を防止する。
沢水(湧水)って年中温度がたいして変わらないので、夏は冷たく冬は暖かく感じるんですね。この流水のおかげで僕も冬の船形山に楽に行ける。

升沢コースを登るつもりで出て来たものの、小荒沢林道も走れそうだ。
僕は他人からガンガン歩く人って思われているようだけれど、案外ヘタレなんです。特に今日のように登山しにきたわけじゃあない時は、出来るだけ歩く距離は少ないほうがいい。
c0294658_19455330.jpg
予想に反して楽に大滝キャンプ場に行き着くことが出来た。
先客は冬ごもり前のツキノワグマだけ。彼らは冬の準備は終わったのだろうか?
c0294658_19460969.jpg
僕の行く道をツキノワグマが先行する。
追い着いちゃったらイヤだなあ~と思っていたけれど、上手い具合に途中で道を分けた。今は雪があって足跡が残っているからツキノワグマの存在がはっきりわかるけれど、いつだってツキノワグマは僕らの前を歩いているのだ。
c0294658_20053157.jpg
瓶石沢。
念のためにワカンを持っていたけれど、必要とする積雪量ではなかった。
c0294658_20064644.jpg
升沢小屋の前もこんなカンジ。山頂から戻って来た人と会ったけれど、山頂付近も大した積雪はないみたいだ。

余裕で山頂を往復してこられるだけの時間をこの小屋での作業に費やした。
紅葉シーズンで利用者が多く水分を多く含んだ便槽のオガクズの総入れ替え、さらさらなオガクズで凍結を予防するのだ。
c0294658_20112189.jpg
来年の秋まで乾かせば臭いもなくなり、10月初旬に担ぎ下ろす。
取り除いたオガクズは土のう袋30個くらい。
ここで!このブログをご覧になっている皆さんへの協力要請です。
毎年10月初旬に「船形山のブナを守る会」が行っている山頂小屋への薪の荷上げの帰り道に、ブナの会の有志に協力してもらって下ろしているのですが、アナタも担ぎ下ろしに参加してみませんか?

山岳愛好者の多くは自分も何らかの形で山に対して何かをしたいと思っている。と僕は感じている。でも、個人では何かをしようと思っていても、その機会がないっていうのが実情のように思う。時期が近くなったらこのブログで案内します。

僕も県外とかほかの山に登る時は、誰かに刈り払いしてもらった登山道を歩き、誰がにメンテしてもらったトイレを使ったりしている。トイレのし尿一袋でも担ぎ下ろした経験があれば、今までと少し違った想いで山と向き合えるんじゃないかと思いますよ。
c0294658_20431119.jpg
こんな張り紙をしてくれる登山女子の方がいる。
でも今回は便槽から6個の生理用品を取り除いた。わざとじゃないと思いますけど、気をつけてもらえると助かります。
c0294658_20463524.jpg
窓に雪囲いの板をはめて、雪かき用のスコップを用意して冬を迎える準備は終わった。
c0294658_20530026.jpg
ブナも黄葉した葉っぱをすべて落とし、冬への準備は終わったようだった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-12 20:57 | 船形山界隈 | Trackback | Comments(2)

南面白山。この秋三度目の入山となった。
c0294658_21313371.jpg
紅葉川渓谷の紅葉も見ごろになった仙山線面白山高原駅周辺。

前回、10月22日に面白山大権現御神体を探して権現沢を完全遡行したのだけれど、御神体を見つけることが出来なかった。
過去記事:面白山大権現の御神体(10月22日)
http://bunatayori.exblog.jp/26084242/
その後、関連する本を調べ、過去に実見した方々から話を伺い、地形図や概念図を穴が開くほど見返し、御神体探しもいよいよ佳境を迎えることとなった。
c0294658_21584695.jpg
駅の傍らにある、首のない姥神様にご挨拶し、以下のヒントを手がかりに権現沢へと向った。

■権現様への道筋の要所に杉の木があるという。
■広場の北側は沢壁になっていて、そこに幅三尺高さ五尺くらいの金気石が姿を現わしている。これが面白権現様である。右そばには滝がある。
(深野稔生著:山遊び山語り 二口編)
■滝の脇の砂礫の崖状になっているところに、高さ2mくらいの小豆色をした岩が突出している。カシューナッツを大きくしたような形。
■その手前には「血の池」と呼ばれる赤い砂地に水がたまったところがある。
■前回の遡行で聖域へ向う二股を間違っていた。
(平成4年ころ深野氏と共に実見した、もときちさんからの聞き取り)

c0294658_22021078.jpg
大黒淵を巻き上がる所にある杉。
c0294658_22041588.jpg
大黒淵上流の鐶滝(かんかね滝)を越え、権現沢へと導く杉。(10/22撮影)

これまでの山行と地図等での地形の把握が出来れば、上流の権現滝へも沢を詰めずとも行き着くことが出来るようになった。
c0294658_22062980.jpg
急斜面を強引に下降して
c0294658_22102984.jpg
 「山寺堰源流」の石碑が近くにある権現滝(滝名は推測)へと降り立った。
c0294658_22133307.jpg
滝の近くには、聖域への道標となる杉。前回は左股へ進むべき二股を別な場所と思い込んでいた為に、この杉を見落としていた。

この杉の辺りから、沢床の色が変わってくる。
c0294658_22175231.jpg
いよいよ血の池も近いと思われたが・・・

実は一旦見逃して通り過ぎてしまったのである。
しばらく沢を遡行し源頭が近くなっても御神体らしいものは見つからない。
同行のmaro7さんが、ある方に携帯電話で連絡をしてみた。抜群のタイミングで連絡が付き、僕らは先ほどの杉のある場所へと引き返した。その方は天童市在住のA氏と言い、県境の関山峠から面白山周辺にかけて精通している方である。

改めて、聖域の入り口を示す杉の周辺を探索した。
c0294658_22354010.jpg
これが「血の池」か?

場所は、ほぼ特定出来たと言って良い。
今度は2mのカシューナッツをキーワードに岩を探すことにした。
「あ!カシューナッツ!あれだ!」
最初に通った時にあった、あの岩しかないと女性陣が言う。

今までの聞き取りと考察から想像していたものとは異なる形状でその岩はあった。

下山してA氏と再度連絡を取った内容に由れば、ここ5年ほどの間にA氏を含めた上記の方々が訪れた当時と現在の御神体の存在する地形が、やはり変わってしまっていたようであった。5年前の震災の影響なのかも知れない。

c0294658_22464844.jpg
「赤い金気石」の面白権現の磐座。
やはり、湯殿山の御神体を連想させる。

写真を載せられるのは、ここまで。
深野氏もここまでの写真しか、本に掲載していない。湯殿山御神体の掟である「語るなかれ聞くなかれ」を踏襲したものであるかは定かではないが、僕もこれに倣うことにしたいと思う。

なんでもかんでもネットを通して公開すりゃイイってもんじゃあない。(と僕は思っている)
御神体へ行き着くまでの経緯、道筋、そして御神体そのもの。自分で考察し現地へ足を運び、そして実見することに意味と価値がある。(と僕は思っている)
そして、興味と好奇心と探究心を持って次に現地へ行ってみようと思う次の世代の人たちが現れることで、この面白山大権現の御神体が伝承されて行くのだ。(と僕は思っている)

何気に簡単な沢登りと思いつき、やって来た南面白山。
そのブログ記事に反応してくれた「もときちさん」と連絡がとれる環境ができたこと、現地で状況確認させてもらった「天童市のA氏」の存在。現地でのA氏からの返信アドバイスがあと数十分遅れていたら僕らは引き返えさなかったかも知れない。
1日前にmaro7さんへA氏からの電話、その電話があと1日遅かったら現地でのアドバイスもなかったかも知れない。
そして、そもそも何気に沢登りにご一緒したウエマツ氏やmaro7さん。
歴史的な興味・探究心が一致していなかったり、maro7さんの人脈がなければ御神体との対面はなかっただろう。

一連のことを思い返してみると、様々な偶然が僕らを御神体へと導いてくれたのではないかと思える。一つ一つが偶然ではなく繋がっているようにも思える。

そうだ、僕らは面白山大権現に会いに行ったのではなく呼ばれたのだ。

来年には磐座に引っかかっていた倒木を除け、落ち葉や泥を払い綺麗にして来たいと今は思っている。

c0294658_23283149.jpg
権現様峠の菩提樹。シナノキ科ではあるけれど正確に菩提樹であるかは判断がつかなかった。

沢歩いていると
c0294658_23310855.jpg
大量のムキタケや
c0294658_23314646.jpg
大量のナメコとの出合いもある。(キノコ採取禁止区域のずっと上流です、念のため)

権現様峠から奥新川峠を経由して下山したけれど、
c0294658_23370916.jpg
歩きやすさや周りの景色、感動を覚えるほど良い登山道だった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-05 23:47 | Trackback | Comments(2)

ナメコですが・・・まだ採らない
c0294658_03444661.jpg
なぜならば、ここは僕の家から車で5分、車止めから歩いて1分で行ける場所。
と言うことは、なにも焦って採ることはない。今日はナメコの成長具合を様子見に来たのだ。
c0294658_03452401.jpg
今年はキノコが不作という話をよく聞いたけど、それはナラタケとかに限った話ではないのかな?って思ってる。でも実は少し心配していたのだけれど赤ちゃんナメコを確認して安心した。
c0294658_03454158.jpg
ムキタケ・・・少し採ったけれどまだまだ赤ちゃんがいっぱい。
c0294658_03450339.jpg
これから11月いっぱい4~5日おきに採りに行く。上旬はムキタケ、下旬はナメコ。
6時に家を出ればキノコを採って6時半には帰って来られる。カイシャインである僕も出勤時間にじゅうぶん間に合うのだ。

帰り道、気になっていた場所へ寄ってみた。
c0294658_03460940.jpg
カタクリの群生で最近訪れる人が増えた達居森の大和町側の麓、明ケ沢って地区にある山王神社。30年も前から、ここの前はしょっちゅう通っていたけれど、鳥居をくぐるのは初めて。
c0294658_03462747.jpg
小高い山頂には、ほとんどヤブに覆われた中に朽ちたお堂があった。訪れる人はほとんどいないようだ。
c0294658_03464404.jpg
鳥居の脇には沢山の石碑がある。これは、この辺の田んぼを区画改良する際に、あちこちにあった石碑を一箇所にまとめたもの。
多くは「馬頭観音」だが、「湯殿山」や「三峰山」と彫られたものもある。
その中に、梵字で書かれた「庚申塔?」
c0294658_03470287.jpg
日輪月輪を両脇に描き、寛政12年(西暦1800年)とある。当時、土地の人のなかに、このような梵字を書ける人がいたのだろうか?想像は膨らむ。
疫病が流行り高名なお坊さんか修験僧にお払いをお願いしたのだろうか?それとも、この辺には「庚申講」があって60年に一度の庚申の干支(寛政12年)にお祭りでもしたのだろうか?

わざわざ遠くに出かけなくとも、有名な観光地に行かなくても文化の日を楽しむことが出来るって訳ですね。史跡を解説した案内板を読むより、自分で調べ想像するほうが楽しい。

石碑の写真を撮り終わり、車に戻るときに一人の婆様と会って言葉を交わした。
婆様が言うには、山王神社には昔は立派な社殿があったそうだ。火事があって番をしていた若い人が焼死して以来ここの神社は廃れ始めたらしい。
「その火事っていつ頃のことなんですか?」と僕が聞いた。
婆様は、こう答えた。
「んだねえ~、オラがちゃっこい時だがら、20年も前になっぺがねえ~」
えっ!???
ちゃっこい頃って子どもだった頃ってことでしょ?20年前子どもだったってことは、この婆様20代後半?30歳そこそこってこと???
「20年くらい前ですかあ~」改めて聞いた。僕が思っていることを察したのか、
「んでね~な~、20年できかねがな?」と婆様。 
そうでしょ!
「んだな~30年前くれがな?」 
えっ!???

年のサバを読み過ぎな婆様だった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-03 23:21 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)