カテゴリ:七つ森界隈( 27 )

大和町 七つ森の奥にある高倉山を南川ダムから望む。
朝の船形連峰は雪が降っていたようだ。白くかすんではっきりしなかった。
c0294658_21003557.jpg

昨日の朝は嘉太神ダム越しに高倉山を見ていた。
c0294658_21003424.jpg
僕にとって今年最後になるかもしれない山登り。
c0294658_21003530.jpg
高倉山で胎内くぐりを行い、一回死んで生まれ変わるってのが今年の最後を締めくくるには良いのかも知れない。
ある事情により山で遊んでいる場合じゃあないという状況になろうとしている。

maro7さん、ウエマツさん、ヨシコさんと僕の4人で高倉山を目指した。
c0294658_21192908.jpg
僕にとっては日常的に走っている高倉林道。雪景色に変わっていた。

僕らが勝手に名前を付けている「ヨシコ門」という入り口から一気に尾根に取りついた。
c0294658_21193084.jpg
この尾根をしばらく進むと胎内くぐりのある岩場に行きつく。

c0294658_21193092.jpg
ほとんど知られていない場所であるし、僕も積極的にこの場所をお知らせするつもりもない。
かつて、この場所を修行の場としていた修験者がいたのかどうかはわからないけれど、僕にとってはこの岩場の胎内くぐりはとっても神聖な場所なのである。

関連記事「高倉山の胎内くぐり」

c0294658_21193042.jpg
狭い岩場の隙間から入り、いったん死んで、
c0294658_21192976.jpg
生まれ変わる。
洞窟を胎内に見立てた疑似再生の行が胎内くぐり。

c0294658_21381245.jpg
maro7さんも

c0294658_21381356.jpg
ウエマツさんも

c0294658_21381383.jpg
ヨシコさんも疑似再生の行を行った。

一年を振り返る、来る年を新しい気持ちで迎える準備って言うなら、どっかのお店で酒飲んで美味しいもの食べて、ボーネンカイー!って盛り上がるのも大いに結構なことだけれど、チバ家の一大事に直面している僕にとっては、胎内くぐりでの疑似再生の行を山仲間と一緒に行うことが神聖な忘年会なのである。

ここの岩場を過ぎ、直線的で急な登りを終えれば東コブはすぐそこ。
c0294658_21474436.jpg
東コブは眺めがいい。
晴れていれば鳥海山だって見える。
c0294658_21474336.jpg
正面に高倉山の山頂を見ながら一旦鞍部に下り、写真正面の急斜面を直登し山頂へと向かう。

もちろん地図に載るような登山道はないけれど、急な斜面をとにかく上を目指せば山頂へ出るのは容易なのである。
ひどくガスった日の下山だけは気を付けないと道迷いを起こすかも知れない。

山頂からの船形連峰の眺めは一級品。
泉ケ岳から北泉、船形山頂から荒神山までが目の前に広がる。
c0294658_21480068.jpg
今日はここまで。船形本山はガスに隠れてみることが出来なかった。

下山後はちょっと寄り道して、クレソンうどんを食べに行った。
c0294658_22003823.jpg
ここは天然クレソンの大群生地。

c0294658_22003873.jpg
少し頂いてうどんを茹でている鍋に入れる。

c0294658_22003900.jpg
雪の上を歩いて来て冷えた体に、ゴマ風味仕立てのクレソンうどんはもってこいの食事だった。

c0294658_22003867.jpg
ご一緒したmaro7さんは旨味が凝縮された海苔の産地である七ケ浜町にお住まい、ウエマツさんは90年の歴史を誇る山梨の名門山岳会「白鳳会」の中心的メンバーのおひとりです。



[PR]
by mt1500funagata | 2017-12-02 22:20 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(0)

高倉山は春に行く山

七つ森の奥に三角の端正な山容の高倉山。
登山道が無いので、ほとんどの人は冬に登るけれど・・・僕は春に登る。

c0294658_21571846.jpg
今日は天気が良く風も無いので、絶好の登山日和。
多くの人が山へ向ったと思うけれど、全く人と会わない山歩きをした人は少ないんじゃあないかな?

人と会うよりクマと遭う確率のほうが高いかも知れない。
c0294658_22010054.jpg
ブナの幹には真新しいツキノワグマの爪痕。
爪先を数ミリ幹に食い込ませるだけで、あの重い身体で垂直に木登りする。
スッゲーよね!

今日は登山女子2名と一緒。
c0294658_22073726.jpg
のんびり藪を掻き分けノンビリ急な斜面を登る。こんな山歩きもイイ。

高倉山の胎内くぐり。
c0294658_22110752.jpg
一回死んだA子さんが生まれ変わった瞬間。

c0294658_22144483.jpg
高いところが好きな女子と苦手な女子。

岩場を過ぎれば、いよいよ今回の山歩きのお楽しみ!
c0294658_22183003.jpg
斜面いっぱいイワウチワ。
花を踏まないように気をつけて、少し登れば東コブ(△775m)
c0294658_22213567.jpg
東コブは見晴らしが良く、空気が澄んでいれば鳥海山まで見える。

c0294658_22295487.jpg
東コブの山頂は僕のお気に入りのヤッホーポイント。
ヤッホーは長谷倉川の谷から泉ケ岳へ駆け上り、北泉ケ岳を経て長倉尾根から船形山へ、そして吉田川を下降して種沢倉を掠めて僕のところへ戻って来る。

僕のヤッホーをどれだけの山の生きものが聞いたことだろう?
姿は見えないけれど、見渡す山々の森の中にはクマ、カモシカ、キツネ、タヌキ、テン、リス、ムササビ、アナグマ・・・・どれだけの命がうごめいているか計り知れない。
ピークに立って、眼下の森の中に息づく生きもの(植物も含めて)の息遣いを想像することが出来ますか?感じることが出来ますか?
あっちに見えるのは○○山、こっちに見えるのは□□山。この花は△△草、この木は××の木。地図見りゃ分る、図鑑見りゃ分る知識。
c0294658_23000495.jpg
・・・「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない・・・
(レイチェル・カーソン:The Sence of Wonderより)


高倉山の一番のお楽しみは、東コブとの鞍部。
c0294658_23051049.jpg
カタクリが足下いっぱい。道がないから早足では歩けない。
花の息遣いを感じながら歩く。

c0294658_23084116.jpg
スミレが足下いっぱい。道がないから早足では歩けない。
花の息遣いを感じながら歩く。

c0294658_23093807.jpg
ニリンソウが足下いっぱい。道がないから早足では歩けない。
花の息遣いを感じながら歩く。

c0294658_23103404.jpg
ササが足下いっぱい。道がないから早足では歩けない。
自分の息遣いを感じながら歩く。

最後の急登を登り、
c0294658_23125550.jpg
残雪を過ぎれば、

c0294658_23141779.jpg
高倉山山頂。

山頂では、
c0294658_23164954.jpg
進化した、焼きそばスープナポリタンを食べて、

c0294658_23182818.jpg
ササ茶を飲んで、

c0294658_23191190.jpg
ササ茶の原料摘んで、2時間を過ごした。

こんな山歩きもいいね!
高倉山って、やっぱ春に登る山だった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-04-30 23:28 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(4)

七疑峰(ななつもり)
其山形聳然として犬牙相列り。人常に指示す。何れの峯巒なる事を疑ふ。故に郷人七つ森と呼。
c0294658_20514358.jpg


===うん蓄 その1===

七つ森が「七つ森」と呼ばれるようになったのは、仙台藩4代藩主伊達綱村(1659年~1719年)以降のこと。

仙台藩の儒学者、佐久間洞巌が1719年に完成させた仙台藩の地誌である「奥羽観蹟聞老志」に登場する。
c0294658_21320994.jpg

ちょっと分りづらいですね。
「聞老志」の改訂版とも言える「封内名蹟志」(1741年)の書き下し版を見てみましょう。
c0294658_21361712.jpg

仙台藩地誌の最終版とも言える「封内風土記」(1772年)
c0294658_21375972.jpg

よーするに・・・・・

宮床村と吉田村に跨がり連なる七つの山があって、この地を訪れた先君肯山公(伊達綱村)が
「この山並みは牙のように列していて格好良いじゃん。そうだ!中国に九つ並んだ九疑峰って名勝があるらしいから、この地もそれになぞらえて七疑峰(ななつもり)って呼ぶようにしようぜ!」
「さすがは殿!素晴らしい思いつきでござる。郷の者にも七つ森と呼ばせることにしましょう」
こうして土地の人々はこの地を「七つ森」と呼ぶようになった。
   
                   ・・・・・ってことでしょ?

注)九疑峯=中国寧遠県南部にある名勝地。名の通り九つの峯からなる。中国五帝のひとり「舜」の終焉の地とされている。
=====

一通り、七つ森の名前の由来うん蓄を語り終えたら「九掛け」へと向いましょう。
ご承知の七峰+たんがら森を含めて八掛けを行う人も多くいるけれど、今回は「九掛け」なのだ。
c0294658_22571499.jpg

七つ森へ行くときは↑こんなシートを作って持っていくと楽しさが増す。以前は南川ダムの資料館でこんなシートを配布し完成した人には記念品を渡していた。

七薬師掛けを行う場合、信楽寺(しんぎょうじ)跡を起点として松倉山から登り始めるのが一般的だけれど、玉ケ池を起点として、たんがら森を経て遂倉山から登り始めるのが正しい(私的見解です)
c0294658_21000792.jpg
この順番は、七つ森に関わるもう一つの「朝比奈三郎伝説」に由来するのと同時に七仏薬師信仰を考えれば最終目的地の大森薬師堂に遠いところから始めるのが本来であろうと思う。

朝比奈三郎という大男が弓の的を造るため品井沼から大きな背負い篭(たんがら)で土を運び、タンガラからこぼれた土がタンガラ森となった(諸説あり、土地ごとに内容は変わる)朝比奈三郎とは実在の人物(鎌倉時代の猛将、朝比奈義秀)であり、その伝説は鎌倉時代へと遡る。

===うん蓄 その2===
国土地理院の地図に「たがら森」と記載されているけれど、旧称「龍ケ森」と書いて「たんがら森」と読むのが正しいのではないか?と思っている。
今回、九掛けって言ってますけど、九ってのは上記7つの倉山と「たんがら森」と「どんがら森」を足して九ってこと。
どんがら森って松倉山の南にある標高91.5mの山って言うよりこんもりした森。
c0294658_21115765.jpg
「堂ケ森」と書いて地元の人は「どんがら森」と読む。
手前の石碑は、鎌倉時代のものである「草野川碑」右奥は松倉山。上の「封内名蹟志」をもう一度見てください。草野川のことが書いてあるでしょう。
背負い篭のことを「タンガラ」と言い、中身がなくなって骨組みだけになったものを「ドンガラ」と言う。
つまり、朝比奈三郎が七つ森を作り終えて、空になったタンガラを置いた所が「堂ケ森=どんがら森」なんじゃないか?と僕は考察する訳です。
c0294658_21224999.jpg
玉ケ池のほとりにも鎌倉時代の石碑がある。
草野川もかつては風光明媚な場所であったのであろう。
様々な文献を調べ、地元に伝わる伝説や民話を聞いて回ると、鎌倉時代には玉ケ池と龍ケ森(たんがら森)、草野川と堂ケ森(どんがら森)がそれぞれセットになって、遂倉山から松倉山までを挟む中世以前の自然信仰があったのだろうとの推測が導かれるのである。

南川ダムの上流に「蛇石せせらぎ公園」ってあるのご存知ですか?
蛇石(じゃせき)ってのは、今はダムに沈んでしまったけれど大きな蛇の頭のような石があって、その蛇石は玉ケ池の大蛇伝説に由来する。
堂ケ森の近くには「蛇神様」が祀られていて、こちらも蛇。
蛇に挟まれた六つの岩山の磐座(いわくら)信仰。そこから見えて来るのは、古代自然信仰の神「アラハバキ」。(興味のある方はアラハバキでググってみてください)

七つ森って、古代から自然信仰の対象となっていて、それぞれのクラ山(磐座)に神や祖先の魂が宿ると考えたクラ山信仰に朝比奈三郎伝説が重ね合わされ、修験道と薬師信仰が習合し、さらに近世になって七疑峰と呼ばれるようになったのに合わせて七仏薬師信仰へと発展していったのだろう。(僕の私的見解ですが、あながち的外れだとは思っていません)

*関連記事「七つ森、信仰の源流を探る」(ぜひ読んでみてください)
http://bunatayori.exblog.jp/26300525/
=====

長くなりました。

いよいよ歩き始めましょうね!
c0294658_22044597.jpg
玉ケ池からたんがら森へと向う道にはイチゲの早咲きが一輪。
いよいよ春の兆しが現れ始めた。

急で岩のごつごつした斜面をひと登りすれば、たんがら森。
c0294658_22080383.jpg
  たんがら森の文殊菩薩

===うん蓄 その3===
たんがら森の麓(玉ケ池のほとり)に、かつては龍ケ森文殊堂ってのがあって、元々たんがら森は文殊様を祀っている山。
上記の七つ森(七疑峰)の由来を見ても分るとおり、ガイドブックに書かれている・・・旧来七つ森とはタガラ森を含めて七つだったのが笹倉山を入れて七つに変わった・・・ってのは誤りだってこと。
あと、笹倉山(大森山)の薬師堂に各山の薬師仏が合祀されたってのも違いますからね。文献調べれば、間違いにはすぐ気づくはず。大森薬師堂や尖倉(遂倉)、鎌索(鎌倉)薬師堂についての記述が出てくる。
=====

たんがら森から遂倉山への途中の岩場を眺めると、七つ森がクラ山信仰の対象であっただろうと思わせられる。
c0294658_22243028.jpg
20年くらい前までだったかなあ?遂倉山の山頂に薬師堂はあった。
c0294658_22284519.jpg
     遂倉山薬師如来

山頂に着いたら、スタンプラリーのスタンプを記録しましょう。
c0294658_22305412.jpg
山名板の柱のてっぺんを鉛筆でこすれば、
c0294658_22323991.jpg
スタンプってゆーか、スタンプなんでしょうね。

c0294658_22345810.jpg
      鎌倉山薬師如来
c0294658_22362152.jpg
南斜面ではカタクリがいつ花を開かせようかとじっと待っていた。
今年は3月の気温が低かったせいだろう、春の花の開花は遅れている。

c0294658_22385958.jpg
蜂倉山の磐座に登ってみた。
c0294658_22401417.jpg
     蜂倉山薬師如来

蜂倉山から大倉山への途中に
c0294658_22420867.jpg
     ネコノメ草

c0294658_22433086.jpg
    大倉山薬師如来

c0294658_22441853.jpg
エンレイソウを見つけたのは大倉山の下りだったか?

c0294658_22453210.jpg
撫倉山への登り道。標高300m前後程度の里山にしては、登山道として面白い。

c0294658_22475922.jpg
     撫倉山薬師如来
見晴らしの良い撫倉山山頂からは、麓にある僕の家が見える。(肉眼では無理だけど・・・)

c0294658_22503345.jpg
     松倉山薬師如来
一番若い顔をしていると思う。

七薬師掛け一般コースとして紹介されているルートを逆に辿ってきた訳ですね。

===うん蓄 その4===

七仏薬師信仰ってのは簡単に言うと、姿を変えた六つの薬師如来の世界を経て、本当の薬師如来の世界に到達するって考えに基づく訳だから、大森薬師堂を本地とするならば、遠くから始めてだんだん近づいて行くこの順番が正しいと僕は考えるのです。興味のある方は「七仏薬師信仰」でググってみてください。
=====

ここまでの、道々の案内は多くの方がブログ等で載せているので、道の詳細はそちらを参照してくださいね。


信楽寺跡の駐車場にデポした車に戻る前に堂ケ森へと向う。
駐車場から遊歩道と反対に歩き、道なりに右折。丁字路を直進しその先の細い私道を今度は左折すると赤い鳥居が目に入る。
c0294658_22574819.jpg
ここが堂ケ森の登り口。
標高91mなので、10分もかからずに頂上へ届く。
c0294658_23020218.jpg
    堂ケ森薬師如来
ほかの山の薬師様より年代は新しく、この薬師様は大森山を向いていない。

最後は笹倉山(大森山)薬師堂へ
c0294658_23034655.jpg
これで、七薬師掛け+たんがら森+どんがら森の「九掛け」の完成。
c0294658_23050672.jpg
スタンプラリーも完成した。

今回は長かったねえ~!
「うん蓄」も「歩き」も・・・
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。



-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-04-01 23:18 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(3)

七つ森主峰、笹倉山の南斜面にある岩クラ。
c0294658_21022183.jpg
地元の人は黒岩と呼んでいる。

本来なら厳冬期である1月に訪れた願ってもない小春日和。
こんな日は、地元の里山である七つ森辺りで遊ばない手はないでしょう。
と言う訳で、笹倉山に登って来た。
c0294658_21083664.jpg
どこへ登るの?笹倉山です! クライミング道具じゃないですか?そうです!
笹倉山への登山口は北面の御門杉コースか難波コースが一般的ですが、今日は黒岩コースなんですね。

七つ森の座(くら)山信仰の源流を探るべく結成された?「同人nanatsumori」のメンバーであるmaro7さんとヨシコさんの3人チームで臨んだ。
僕らはクラ山信仰の源である七つ森のそれぞれの岩座に触れることを計画したのだ。
c0294658_21212601.jpg
原阿佐緒の墓がある龍巌寺の前を通り、伊達山林道を使ってアプローチした。
ヘルメットのヘタレマークに恥じない最短アプローチで、春のような柔らかい日差しを受けて歩き始め。

黒岩の下に出るまでも距離は短くても結構な急登だった。
c0294658_21281575.jpg
目の前に立ちはだかる岩。
c0294658_21291102.jpg
黒岩と呼ばれている割にそれほど色黒でもない。
c0294658_21312166.jpg
さすがに遠くからでもはっきり確認できる岩場だけのことはある。
c0294658_21332848.jpg
一段目の岩場をクリアするのにも相当な時間を要した。

上部の岩場はもっと厳しそう・・・
c0294658_21351539.jpg
maro7さんが先行して様子を見に行くが・・・
c0294658_21363807.jpg
逆層(岩の形状が下向き)の垂直に近い岩壁を登れるだけのクライミング技術は持ち合わせていないし、ヘルメットにも明示してある通り「安全第一」なので、ここは巻くことにした。
c0294658_21455831.jpg
巻きルートを偵察に行く僕を見守る素振りも全く見せずに日向ぼっこの二人。
巻きルートって言っても、落ちたらタダでは済まされないんですけどーーー!
c0294658_21534546.jpg
相かわらずキビシイですねえ。
c0294658_21545305.jpg
山岳ドキュメンタリー映画「MERU」を観た余韻が残っているとはいえ、ヤツ等と僕じゃあ全然話しにならない。なんたって僕は安全第一、ヘタレシールを貼ったヘルメットは伊達じゃあない。安全第一!

c0294658_22015901.jpg
垂直に近い岩場を避けたにしても斜面の状況はキビシイ。
c0294658_22035232.jpg
日陰の斜面には雪が残り、手元足下に細心の注意を払いながらの登り。
c0294658_22060707.jpg
やっと国見崎への尾根に取り付いた。ここまで来ればもう安心。

c0294658_22132320.jpg
尾根を真っ直ぐ登ってくれば国見崎。青空の下、太平洋が青く輝いていた。

c0294658_22222025.jpg
大森薬師堂の傍らにある、麓の宮床が生んだ女流歌人「原阿佐緒」の本名が刻まれた石灯篭。これは幼少の頃病弱だった阿佐緒(浅尾)の健康を祈願して阿佐緒の父が奉納したもの。

関連記事:笹倉山とうつし世の女(をみな)
http://bunatayori.exblog.jp/20745396/


山頂の薬師様にご挨拶して、薬師堂の裏手から西斜面を強引に伊達山林道へと下山した。
大森薬師堂と七つ森の七薬師との関連等についてのうん蓄を述べたいところですが、今日は黒岩ルートの登攀でお腹一杯なので別の機会にしましょう。
c0294658_22183016.jpg
西斜面から泉ケ岳方面の眺望。わずかに伊達山林道も見えている。

c0294658_22382585.jpg
お気軽登山として登る人も多い笹倉山だけれど、ルートによってはスリリングで面白い山登りが出来る。

===2月1日 追記===
結果オーライでしたが、今思えば岩場のトラバースと巻きルートの急登は安全確保の上ではザイル張るべきでした。どちらも落ちたら数m~数10mの墜落or滑落で軽傷では済まないと思います。
里山とは言え、ルートによってはシビアな対応が必要だったと思っています。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-01-28 22:56 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)

七つ森 六地蔵 四天王

七つ森の七薬師は有名だけれど
c0294658_22295564.jpg
七つ森の麓には六地蔵と四天王がある。

c0294658_22335261.jpg
六地蔵のひとつ「法性地蔵」。
ほかに「中野地蔵」「草の川地蔵」「永屋敷地蔵」「水地蔵」「延命地蔵」。
享保七年(1722年)宮床伊達家初代宗房夫人の松子(貞樹院松子・仙台藩五代藩主吉村の生母)建立と伝えられる。

四天王とは、
「要害天王」「山田天王」「新道天王」「芳の沢天王」
享保三年(1718年)建立。

七薬師掛け、六地蔵巡り、四天王巡り
一日じゃあ無理だと思いますが、全部やったら相当ご利益ありそうですね。

c0294658_22584348.jpg
七つ森の奥のほうにある滝。
「夢想の滝」というのだそうだ。
(七つ森観光協会発行「緑の古里七つ森を語る」による)

c0294658_22585329.jpg
滝の原温泉「ちどり荘」のすぐ脇にある。

c0294658_22583184.jpg
「瀧原不動明王」
安永三年(1774年)

関連記事:「滝の原不動明王」
http://bunatayori.exblog.jp/21629265/

時間的な制約がある休日は、朝に七つ森の近辺をウロウロする。

七つ森って登るだけじゃなくて、周辺を歩くのも面白い。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-01-21 23:14 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(0)

七つ森、8峰全てを一望できる場所は少ない。
c0294658_19074583.jpg
昭和50年に編纂された「大和町史」の中、「黒川郡の神々」と題された一文によれば、
七つ森が大森山(笹倉山)を加えて七つとして数えられるようになったのは、伊達四代綱村の頃(西暦1700年前後)。中国の九魏峯になぞらえて七魏峯と称するようになったという。=注)魏の本当の文字には山冠がつく=
現在山頂に祀られる薬師像は近世のものであるが、(宝暦12年=1762年、伊達氏侍臣、八巻景任父子による)七つ森が霊異の山として黒川郡の人たちに崇められていた歴史は確実に古代までさかのぼる・・・。

そして、その一文には、古代からの神体山としての存在、さらに山中にある岩座(いわくら)つまり神座(かぐら)に関する記述もあった。

確かめなければならないと思った。その岩座(神座)に触れてみたいと思った。

しばらく前から、資料を集め現地の偵察を繰り返していた。

c0294658_19075891.jpg
七つ森の麓にある、石神山精(いわかみやまずみ)神社。

宮司の吉田さんからもお話を伺った。
「おらいは、もともと修験なのっさ。出羽三山で修行して最後に京都の聖護院さ行って法印をもらうのっさ」
延喜式内社の全くの神社だとばかり思っていたのだけれど、実は修験本宗の流れを汲む修験だった、七つ森は修験の山だったのである。境内にある湯殿山の石碑の意味が分った。
「七つ森の倉は岩座の座(クラ)神座の座(クラ)っさ」
僕は〇倉山の岩座の前に立ちたいと思っているのですが、そこが御神体山の神座なのですか?と問うた。
「斜面が急だから落ち葉で滑らないように気をつけなさい」
僕の問いには、はっきりと答えずに笑顔で言葉を煙に巻いた。
c0294658_19081541.jpg
Wikipedia七つ森に記載されている「山の名称には共通して倉の字が入っているが、これは岩を意味している」という解説は正しくないということですね。どんな参考資料よりも吉田宮司の口から発せられた言葉が意味を持つ。さらに、新七つ森と旧七つ森の比較表なども載せているけれど、本来、旧七つ森なんて存在しない。笹倉山を入れて七つと数えた時から「七つ森」となった訳で、それ以前は「七」と数を合わせる概念がなかったと言えるのである。(僕の考察です)

七つ森に関するうん蓄を続けようとすれば、数十ページにわたる長文になってしまいそうです。この辺で切り上げましょうね。


昨年、面白山大権現の御神体探索をご一緒した、ハンドルネーム:マロ7さんご夫妻とヨシコさんを誘って、いよいよ七つ森の岩座神座へと向った。
c0294658_21340694.jpg
どこへ行くの?七つ森です! クライミング道具じゃないっすか?そうです!

c0294658_21422905.jpg
いままでの偵察の結果、下から藪をこいで行くのは相当困難と判断して、上から目指すことにした。いったん山頂に登って目指す岩座まで下降するのだ。
しばらくは木立ちを頼りに慎重に下る。しかし、それも長くは続けられなかった。
c0294658_21470477.jpg
ザイルを出して懸垂下降。50mザイルを目いっぱい使った。
c0294658_21493951.jpg
最初の岩座のテラスに立つ僕。触れるだけで岩は崩れてくる。
c0294658_21512272.jpg
今にも崩れそうな岩がハングしている。長居したい場所ではなかった。
c0294658_21525620.jpg
テラスからの下降にもザイルを使用した。急ですよ!カラ身じゃ行けない。
テラスから降りて今度は急な斜面をトラバース。

c0294658_21550573.jpg
目指していた岩座。
ここが古代クラ山信仰、御神体山の神座なのであろうか?
確かめる術はないのだけれど、中世以前の人々が神の座と考えるにふさわしい岩場であった。
c0294658_22015057.jpg
岩に触れてみる。 
毎朝毎晩眺めている七つ森の懐の真ん中に抱かれているような感覚を持った。
c0294658_22074704.jpg
こうして見上げてみると、古代の人だったら、いや現代人の僕であってもここには神様がいるんだろうなあ~って感じる場所だった。

それから、それから、、、!
今まで、どんな書物にも書かれていないし誰からも聞いたことがなかった凄いものを発見した。
c0294658_22140232.jpg
岩場のトラバース中に、
「あれー!あんな所に洞穴みたいのあるよー」とヨシコさん。
「行ってみるしかないすぺー!」とマロ7さん。
c0294658_22163659.jpg
洞窟だった。
c0294658_22172769.jpg
高さ1mちょっと、奥行きは3~4mくらいか?
平に固められた洞窟の奥には、ヤマグワの種が混じったツキノワグマの糞が残されていた。入口近くの右手には30~40cmくらいの棚のような下が平らな窪みがあって、火を焚いた痕跡とか岩を削った痕跡とか人の手が関わったような跡がないかを探したけれど、見つけることは出来なかった。
c0294658_22232512.jpg
床面はまっ平で、座ったり寝たりするのに充分すぎるほどの快適な洞窟の内部だった。岩がゴツゴツした壁面や天井面と見比べると、不自然な程まっ平な床面。七つ森修験の行者が修行した洞窟のように思える。もし、そうだとして、そうでなかったにしても、この洞窟に僕らの前に人が入ったのはいつのことだろう・・・なんて考えると気持ちの高まりは抑えきれないものがあった。皆おなじ気持ちだった。
c0294658_22304681.jpg
七つ森の山中に、こんな場所があったなんて!
多くの人が訪れる身近な里山ではあるけれど、深い興味を持って深く歴史を調べ深く山中に分け入れば、こんな楽しみ方も出来る。
c0294658_22351342.jpg
累々と広がる落石の斜面をトラバース気味に下山した。
c0294658_22352990.jpg
七薬師掛けは、僕は何度か行っている。
七峰を登っては下りまた登るという大変な山行である。
さらに今日の山行で七つ森の七掛けという横軸的とも言える平面的な広がりに、深さという縦軸も加わったように感じた。

興味のある方は、県立図書館に資料があります。それらの資料を紐解いて訪れてみてください。そこから始めるのが一番面白いと思いますよ。


興味深いことが多くて時間を忘れ、昼飯は陽がとっぷりと傾いた頃になってしまった。
c0294658_22462697.jpg
三つめのすず沼からクレソンを頂いて、甘い水の泉のほとりでクレソン鍋を囲んだ。


今までで、一番面白い七つ森でした。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-01-07 23:00 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(4)

新年明けましておめでとうございます。

c0294658_21390968.jpg
七つ森鎌倉山から昇る初日の出。

初日の出のあとは、七つ森の奥にある三つ目のすず沼へと向った。

関連記事「三つめのすず沼」
http://bunatayori.exblog.jp/25685667/

c0294658_21562871.jpg
僕はこの場所をよく訪れる。
この「すず沼」の水源になっている泉の水がとっても甘いから。

c0294658_22432939.jpg
七つ森の奥の森の中から湧き出ているこの泉を僕は「甘い水の泉」と呼んでいる。

c0294658_22455230.jpg

今日やって来た目的は・・・

c0294658_22464419.jpg
クレソン摘み。

厚い絨毯のように敷きつめられている場所から摘む必要はない。
端っこのちょっとした場所から少しだけ頂いてくる。

c0294658_22490482.jpg
甘い湧水で育ったクレソンは甘く感じる。
ナメコは12月の下旬まで採れた。これから5月くらいまでクレソンを摘む。

c0294658_22524650.jpg
家から車で25分、車から歩いて10分。
僕がここのクレソンを摘みに来るのは特別なことではない。

ちょっと鍋の材料採ってくるわ・・・って感じの日常のこと。
世間ではセリ鍋が人気ですが、クレソン鍋も美味いですよ!
もちろん、サラダでも炒めても美味い。
正月は雑煮に入れて、クレソン雑煮。

c0294658_22554886.jpg

この水のように、清らかな気持ちで一年が過ごせれば良いですね。


本年もよろしくお願いします。
平成29年 元旦
=====

クレソン雑煮の写真を追加します
c0294658_12193019.jpg


-

[PR]
by mt1500funagata | 2017-01-01 23:09 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)

高倉山の胎内くぐり

高倉山
大和町七つ森の奥、船形連峰の前衛峰で標高は854m。
c0294658_19261941.jpg
南川ダム湖畔から見たところ。左から泉ケ岳~北泉ケ岳~高倉山~赤崩山。

今日は高倉山へただ登りに行くのではない。
高倉山と民族信仰との接点を探しに行くのだ。
富谷や大和町吉田から見える端正な山容に、昔の人々が信仰の心を持って対峙していなかった訳がない。もちろん「倉」の付く山名、山頂に祠がある訳だから信仰の対象となっていたのは明らか。

明治5年に明治政府が修験道廃止令を出した当時、日本全国に約17万人もの修験者がいた。当時の人口は3300万人程度、要するに明治以前は修験行者が至る所に存在していたと言う事。(正木晃著:現代の修験道より)

その中には高倉山を修行の場とした修験者もいたんじゃないか?
高倉山の山中に、僕は以前から気になっていた場所があった。

c0294658_19484652.jpg
歩き出しは赤崩山の奥、林道高倉線の支線。
以前は四輪駆動の車なら進入できた林道も、今は荒廃が進み洗掘によって通行は不能。
無理して入り込めば、、、
c0294658_19514113.jpg
こんなことになる。

林道を歩いて行き、尾根に取り付く。
c0294658_19555236.jpg
小春日和のような気持ちのいい尾根をしばらく歩くと
c0294658_19575080.jpg
岩場が現れる。
僕は、この岩場は修行の場ではなかったのか?って思っていた。
僕が修験の場として高倉山に入るのだったら、ここで修行をするなあ。
c0294658_20015151.jpg
この岩屋は自然に出来たものなのだろうか?

泉ケ岳の薬師水コース(表コース)の胎内くぐりは有名だけれど、僕はここの岩場でも胎内くぐりがあるんじゃないかと目を付けていたのだ。
c0294658_20032292.jpg
岩のすき間から入ってみる
c0294658_20352844.jpg
洞窟の中は意外と広かった
c0294658_20384608.jpg
洞窟の中から入り口の様子
c0294658_21045792.jpg

c0294658_20404698.jpg
岩に囲まれた洞窟の内部は、胎内を連想させるに充分だった。

<<胎内くぐり>>
山岳や霊地の行場で、狭い洞窟や割れ目を通り抜ける場所に付けられた名称。修験者や行者などは山岳や霊地を他界または胎内とみて、その中を巡歴して修行しいったん死んで生まれ変わる擬死再生の行を行ったが、胎内くぐりによってその観念を抽象的に実践して確認した。これによって一切の罪穢を捨て、肉体と魂を浄化し、新たに生まれ変わるという考え方を行動をで示したのである。この考えの背景には、洞窟が一方では他界への入口とみなされ、他方では霊魂のこもる活力を復活する場として、神聖化されたことが関連している(世界大百科事典より)

c0294658_20585832.jpg
出口。僕は肉体と魂を浄化し生まれ変わった。

こんな場所を至る所にいた修験者が一人も目を付けなかった筈がない。
何か人が関わった痕跡がないか探してみたけれど、今日のところは何も見つからなかった。だから、これは僕の想像でしかないのだけれど、きっとこの場で歴史にも残らない名もなき修験者が修行していたのだと思う。

こう言っては何ですが・・・泉ケ岳の胎内くぐりより胎内くぐりらしさを感じます。
c0294658_21141995.jpg

岩場をあとにしたら、標高775mの東コブまで尾根づたいに急勾配をひたすら登る。

c0294658_21253801.jpg
東コブからの高倉山と船形本山。
栗駒や焼石連峰、神室連峰から鳥海山まで見える展望が開ける。
c0294658_22060690.jpg
お天気が良かったので泉ケ岳はじめ山に登っていた人も多かったんじゃないかと思いますけど、11時前くらいに聞こえた「ヤッホー」って、
c0294658_21280840.jpg
高倉山東コブから僕の「ヤッホー」でした。

c0294658_21314980.jpg
高倉山との鞍部。
春には沢山の花が咲き、踏み跡も無いものだから、足の置き場に苦労するほどになる。
c0294658_21374249.jpg
東斜面は急勾配。かなり急です。
c0294658_21392268.jpg
山頂には、大正5年に当時52歳だった鈴木利助さんという人が奉納した祠がある。

山頂から少し西のほうに歩くと視界が開け、
c0294658_21415047.jpg
泉ケ岳から北泉ケ岳
c0294658_21430286.jpg
三峰山から船形山
船形連峰の主稜線が一望に出来る。

こんなに面白くて良い山なのに、登る人少ないのってもったいないなあ~。

=====
どこから尾根に取り付いたのか?とか胎内くぐりって何処にあるのか?ってのは、敢えて詳しく書きませんでした。登山道のない、こんな山って「自分で」地形図みて「自分で」現地判断して「自分で」ルートを探し、行った先に胎内くぐりの岩場を見つける。こんな登り方が楽しいのではないでしょうか?GPSの軌跡や詳細な案内に頼って登るより、ずっと楽しいと思いますよ。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-26 22:19 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)

ナメコですが・・・まだ採らない
c0294658_03444661.jpg
なぜならば、ここは僕の家から車で5分、車止めから歩いて1分で行ける場所。
と言うことは、なにも焦って採ることはない。今日はナメコの成長具合を様子見に来たのだ。
c0294658_03452401.jpg
今年はキノコが不作という話をよく聞いたけど、それはナラタケとかに限った話ではないのかな?って思ってる。でも実は少し心配していたのだけれど赤ちゃんナメコを確認して安心した。
c0294658_03454158.jpg
ムキタケ・・・少し採ったけれどまだまだ赤ちゃんがいっぱい。
c0294658_03450339.jpg
これから11月いっぱい4~5日おきに採りに行く。上旬はムキタケ、下旬はナメコ。
6時に家を出ればキノコを採って6時半には帰って来られる。カイシャインである僕も出勤時間にじゅうぶん間に合うのだ。

帰り道、気になっていた場所へ寄ってみた。
c0294658_03460940.jpg
カタクリの群生で最近訪れる人が増えた達居森の大和町側の麓、明ケ沢って地区にある山王神社。30年も前から、ここの前はしょっちゅう通っていたけれど、鳥居をくぐるのは初めて。
c0294658_03462747.jpg
小高い山頂には、ほとんどヤブに覆われた中に朽ちたお堂があった。訪れる人はほとんどいないようだ。
c0294658_03464404.jpg
鳥居の脇には沢山の石碑がある。これは、この辺の田んぼを区画改良する際に、あちこちにあった石碑を一箇所にまとめたもの。
多くは「馬頭観音」だが、「湯殿山」や「三峰山」と彫られたものもある。
その中に、梵字で書かれた「庚申塔?」
c0294658_03470287.jpg
日輪月輪を両脇に描き、寛政12年(西暦1800年)とある。当時、土地の人のなかに、このような梵字を書ける人がいたのだろうか?想像は膨らむ。
疫病が流行り高名なお坊さんか修験僧にお払いをお願いしたのだろうか?それとも、この辺には「庚申講」があって60年に一度の庚申の干支(寛政12年)にお祭りでもしたのだろうか?

わざわざ遠くに出かけなくとも、有名な観光地に行かなくても文化の日を楽しむことが出来るって訳ですね。史跡を解説した案内板を読むより、自分で調べ想像するほうが楽しい。

石碑の写真を撮り終わり、車に戻るときに一人の婆様と会って言葉を交わした。
婆様が言うには、山王神社には昔は立派な社殿があったそうだ。火事があって番をしていた若い人が焼死して以来ここの神社は廃れ始めたらしい。
「その火事っていつ頃のことなんですか?」と僕が聞いた。
婆様は、こう答えた。
「んだねえ~、オラがちゃっこい時だがら、20年も前になっぺがねえ~」
えっ!???
ちゃっこい頃って子どもだった頃ってことでしょ?20年前子どもだったってことは、この婆様20代後半?30歳そこそこってこと???
「20年くらい前ですかあ~」改めて聞いた。僕が思っていることを察したのか、
「んでね~な~、20年できかねがな?」と婆様。 
そうでしょ!
「んだな~30年前くれがな?」 
えっ!???

年のサバを読み過ぎな婆様だった。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-11-03 23:21 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)

多くの人が手軽に登れる大和町の七つ森大森山(笹倉山)で
スズメバチによる人的被害が発生しました。
c0294658_22593224.jpg
一昨日(10/6)登山道を歩いていた人のうち2名がスズメバチに刺されました。
大事には至らなかったのは幸いでした。
昨日中(10/7)に蜂の巣は除去されましたが、油断は出来ません。
c0294658_22594586.jpg
クマの出没が大きな話題となり各方面で注意を促していますが、クマよりもスズメバチ被害のほうが国内では死亡例が多いことを忘れてはいけないでしょう。

c0294658_22595709.jpg
大森山登山口に設置してある看板。
スズメバチ・ツキノワグマ・ヘビ、んー味があるなあ~。


-

[PR]
by mt1500funagata | 2016-10-08 23:09 | 七つ森界隈 | Trackback | Comments(2)