2016年 05月 08日
船形山北端、薬師森に蔵王権現を探す
この文書に由れば船形山の北端つまり薬師森の頂上に3m余りの大石があって、そこに蔵王権現が祀られている・・・と言うこと。
さて?知ってる人いるんでしょうか?
薬師森には僕も行ったことがあるし、他にも行ったことのある人は多い。
でも、みんな積雪期のこと。石があるかなんて分りゃしない。
となれば、雪のない時期に3mの大石があるのかを探しに行ってみたくなる。
例年より異常に残雪が少ない升沢コースを山頂に向った。
でも今日の山頂はゴールじゃなくてスタート地点になるのだ。
直線距離で530~540mくらい。
相当なヤブ漕ぎになるであろうことは覚悟してきた。
しかし!ヤブ漕ぎは僕の覚悟を遥かに上回った。
ハイマツとミネザクラの密ヤブは地に足が着かない、もみくちゃにされながら枝の上を泳ぐようなヤブ漕ぎ。
1時間頑張ったけれど半分も進んでいない。帰りの時間を考えれば断念するしかない。
別な方法を求めて東側の急斜面の上に出てみれば、かなり厳しい斜面であるけれど残雪をつないで歩けそうだった。
取りあえず下のほうに向って薬師森を見上げたら、山頂直下まで登れそうな雪渓がある。
すると、下からは見えていなかったけれど、雪渓を慎重に詰め登ったところに大石が鎮座していた。
もしかして?これ?
何か祀られていた痕跡がないか周囲を探してみたけれど見つからなかった。
頂上ではないけれど、ここから頂上まではほんの10mくらいだった。
猛烈なヤブをかき分けて、周辺に大石を探してみたけれど見つけることは出来なかった。と言うか無かったと思う。
急ではあったけどロープを出すまでの必要はなかった。
後の行程をどうしようかと迷ったけれど、安全策で船形山頂に登り返して升沢コースを下山することにした。
薄い雪がかぶさっていやらしくなっている色麻コースの沢を詰めて、今日二度目の御来光岩、そして山頂を経由して升沢コースを下山した。
それが冒頭の蔵王権現を祀った石なのか?確かめることは出来ない。
でも、僕の気持ちの中ではひとつの納得感というか現地を確かめてきたのだという満足感を感じながらの下山の道だった。
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今日のおさらいです。
行きがけに撮った写真で今日の行程を振り返ってみましょう。
誘われても行かないよー!
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コメントありがとうございます。図根点(ずこんてん)って書いてあったんですね。すぐ調べてみたら三角点の補助みたいなもののようですね。
舩ケ峠と呼ばれていた時代には薬師森へと続く道があったのかもしれませんね。
すでに コロスケさんが調べてくださっていました。よかった。私も実は漢字が好きでして すぐに辞書を開いてました。
少彦名命を お祀りする というのも とても興味深いお話ですねぇ。大した知識は無いのですが 日本書紀に出てくる神様は面白いです。埋もれてしまうこういう古い記録があり それを辿る山歩きのお話を聞けるのは 私にとって本当に魅力的です。以前お書きになっていた 新川辺りのナツノコナイヤマだったでしょうか(うろ覚え)あの辺りのことも 密かに 新の事実が判明されることを楽しみに待っているのです。やぶ漕ぎ お疲れ様でした。
図根点の設置は1940年、50年代が多かったそうですが、苔むした薬師の図根点はいつだったのか…知りたくなりますね。
薬師の名前からして、薬師如来もなにかの由来があるのかな。
マニアックな話になります。
神仏習合、本地垂迹によれば少彦名命と蔵王権現は同一であり、この神様と権現様が同じ石に祀られていることは理に適った話であります。
そして、少彦名はガガイモで出来た「船」にのって海から現れた神様。その船の名前は「天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)」
船形山がかつては舩ケ峠と呼ばれていたこと、船を伏せた形をしているからという山名由来説は比較的新しいものであること等を考え、さらに山岳信仰においては端山信仰と言って山の端を重要視していたこと等を重ねると、船に乗って現れた少彦名を北端に祀ったことと船形山の山名は何か繋がりがあるのではないか?と僕は思っているわけです。
大石から良く見えた鏡ケ池も「天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)」が由来しているのでは?なんてことも考えちゃうのです。
「船形山名考」や「天翔る船紀行」などの本で山名の由来が論じられていますが、僕なりの仮説のヒントを探すために、少彦名命を祀ったという大石を見に行かなければなかったのです。
そんな話を魅力的だとコメントしてくれる方がいらっしゃる。とても嬉しいことです。
図根点については僕も今回初めて知りました。検索すると結構ヒットするんですけどね。
苔むした図根点の石標が人の目に触れたのは何年ぶりのことだったのか?なんて考えると楽しくなちゃいますね!
薬師森は今は道がなく行けるタイミングは少ないですけど、かつて相当賑わっていた船形詣での中であれだけ目立つ薬師森が、今のように登る人がほとんどいなかったってのは、逆に考え難いことだと思っています。多くの人が登っていたんじゃないかなあ?なんて思います。薬師さまが祀られていても不思議じゃないですね。