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ナイジャスキマリハーヒト

この言葉を伝えるために、、、森にいかなくちゃ・・・
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30年近くお付き合いをさせてもらった船形山界隈を根城にする森の写真家がいた。
ブナの森歩き写真倶楽部「森の時間」を主宰する桜井洋次さん。僕は尊敬と親しみを込めて、ヒゲの写真家と呼んでいた。
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ーーなぜ森に通うのですか
「通っているのではありません 帰っているのです」
(森の時間 船形山麓:写真語り・桜井洋次 表紙より)

夕方に偶然出会い暫く立ち話をした翌朝、ヒゲの写真家は唐突に森に帰った。

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ヒゲの写真家が森へ帰ってから最初の休日は、この森に行かなければならないと思った。

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僕の部屋の壁の一角は、何年も頂き続けていた写真展の案内ハガキで占められている。

===過去記事から抜粋===
上の桜井さんの写真集は2005年に発行されたもので、僕は今でも時折ページをめくる。何気ない森の日常の一コマを切り取った写真だけれど、表面的でなく内側から滲み出る美しい森の姿がある。枯れ葉だって倒木だって、こんなに美しいものなのだと語りかけてくる。

僕は桜井さんの写真に「写真」を感じない時がある。カメラという機械を介していないように感じるのだ。森の中の風景の一部を伸ばした人差し指でスーッと四角に切り取り、それをそのまま額装したように感じる時がある。
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(森の時間HP/森の記憶より)

桜井さんの写真で強烈に印象に残っている写真が1点ある。何年か前の写真展で、その写真には「森の時間」とキャプションが付けられていた。花とか紅葉とかのように見て綺麗な写真じゃあない。ただ森の中で根元から数メートルを残し朽ちる寸前のブナの写真。僕はその写真と「森の時間」というキャプションに心が震えた。
最初は一粒の種だった。その種が発芽し生長して老木となり朽ちて行く、そして朽ちた後には新しい芽が生長し・・・それが繰り返されてゆく・・・そんな何百年という悠久の「森の時間」の流れが一枚の写真の中に見事に表現されていた。

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写真映えのする場所と瞬間を狙って、あっちの山こっちの森へと動かず、一途に船形山麓の森に通い詰めているからこそ、そこにある奥深い美しさと時間の流れを表現できるのではないかなと思う。
写真を撮る者の思い入れの深さが、観る者の感じる深さになっているような気がする。
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この森を歩いていると、その辺からヒゲの写真家がひょっこり顔を出すんじゃないか?って思えてならなかった。

氷が解け始めた沼のまわりで暫く動かずに水面を眺めていると岩魚が姿を現した。
氷と雪に閉ざされた全く日の当たらないところで、じっと春を待つ岩魚。どーやって生きているのか不思議だ。

ーー森ってどんな所ですか
「自由です どっちにいくのも 何を思うのも 極端ですが生き死にも」
(森の時間 船形山麓 写真語りより)

自由だったんだろーなー

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僕らは道にとらわれず、自由にこの森を歩いた。
ブナ、ミズナラ、トチノキ、サワグルミ・・・・沢山の森の木々、森の水、森の風と会話をした。

崖のような急斜面を下り、森から浸み出た小さな沢が幾筋も集まる湿原へ。
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雪が融けミズバショウが咲き始めるころにはツキノワグマがやって来る。

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何年前だっただろう?
残雪に付いたばかりのツキノワグマの足跡を追いかけて一人でこの湿原を歩いていた。
『こんなところで出合うのはクマかヒゲの写真家くらいなもんだろーなー』って思いながら歩いていた。
人がいた!ヒゲの写真家だった。やっぱりなー!、、、なんてことを思い出しながら湿原を歩いた。

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ーーナイジャスキマリハーヒトって何ですか
「昔々 森と水と風の約束、、、森は悠々と草木を伸ばし豊かな土壌をきずいた 水は雫を集めて循環の旅に出た 風はその姿を消すことで気配となった、、、森に聞いた話しだからね 」
(森の時間 船形山麓 写真語りより一部要約)

僕はヒゲの写真家桜井さんが森に還ったってことを森に伝えようと思ってここにやって来たのだけれど、その必要は無かったようだ。
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『知ってるよ』
森と水と風はすべてを知っていた。僕はそう感じた。

ヒゲの写真家は、森と水と風と約束をしていたのだろう・・・ナイジャスキマリハーヒト



# by mt1500funagata | 2024-03-17 20:13 | 船形山界隈 | Trackback | Comments(0)